【第602回】  合気道は真の武道

合気道は武道である。武道であるということは、敵を殲滅することができる技を錬磨しているわけである。命が懸かるような厳しいものであるはずだ。
それ故、稽古では受けの攻撃をしっかりと捌き、最後の収めや投げまで、相手に攻撃の隙を与えない態勢で動かなければならない。
技を使う際も、どの場面でも相手を殲滅できるように技をつかっていかなければならない。
武道である合気道の稽古は厳しいはずである。浮ついた気持ちで稽古をしたり、和気あいあいの遊戯であってはならない。

合気道は武道であるが、開祖は「合気道は真の武道である」といわれている。これまでの武道とは違うといわれているのである。
つまり、合気道は敵を殲滅するだけでなく、敵が反抗・攻撃の心を無くすようにしてしまう和合の武道であるという。これまでの敵を殲滅するだけの武道から、その殲滅の武道に和合を加えた武道なのである。
これを開祖は、「真の武道は相手を殲滅するだけではなく、その相対するところの精神を、相手自ら喜んで無くさしめるようにしなければならぬ和合のためにするのが真の武道、すなわち合気道である。(合気神髄 P.173)といわれている。

まず、下線の「敵を殲滅するだけでなく」に注目すべきである。敵を殲滅するが、それだけではないといわれている。この一面が、開祖が云われる真の武道としての一面である。かっての武道はこの面しかなかったわけである。

次に、かっての武道の反面に、「その相対するところの精神を、相手自ら喜んで無くさしめるようにしなければならぬ」という和合の面を加えられ、この二面で真の武道といわれたわけである。

尚、「その相対するところの精神を、相手自ら喜んで無くさしめるようにしなければならぬ」とは、相手の攻撃心を相手自らが無くすようにすることである。
そのためには、相手と対峙し、相手と接し、技を掛ける際、やるべきことがある。天の浮橋に立つ、天地の息に合し、イクムスビや阿吽の呼吸で技をつかう、陰陽・十字で体をつかう、円の動きのめぐり合わせで技を生むなどなど、これまで研究してきていることである。

合気道は、武道であるということを忘れずに、そして和合する真の武道を追及しなければならない。