【第150回】 技と道と神

合気道は、道を求める武道である。合気道は、人為を加えない神の御心のままの「惟神(かんながら)」の道を極めるものである。道を極めようとするものには、合気道の他に宗教、哲学等々あるが、武道である合気道は、頭から入って観念的に極めようとするのではなく、肉体から入っていく道である。

しかし、この道に入り込むのは容易ではない。よほど注意しないと、道を外れてしまい、道に入らず、横道や邪道に陥ってしまうのである。また、道に入ってからも、その道を進むのがまた難しい。幾つもの障害物が立ちはだかるので、その障害物をひとつひとつ取り除かなければならないからである。

道に入らせ、障害物を除き、道を進ませることができるものは、「技」である。「技」を極めることによって「道」につながるのである。「技」をきちっとやらなければ、または出来なければ、「道」に繋げることはできないことになる。きちっとした「技」とは、理合の技であり、人為を加えない「惟神(かんながら)」の技でなければならない。天之浮橋に立った「むすび」と引力の鍛錬であり、禊ぎであり、愛でなければならないと言われる。「技」は、単なる武術の術(テクニック)ではないのである。

技を極め、道を極めていくことによって、普遍的なものが見えてくるという。この普遍的なものは真理であり、ひとはこの真理を神とも呼ぶ。技を極め、道を極めた開祖は、多くの真理を見つけ、神を見たのである。

本部道場の故有川定輝師範は、「技」に厳しく、「道」に厳しい先生だったが、『植芝盛平と合気道 U』の中で、「技から道、道から神っていう言葉がある。技を極めることによって道につながるし、道を極めることによって神につながる。技は手段じゃないという考えです。」と言われている。

「技」から「道」へ、「道」から「神」へ繋がるように、まずは「技」を極め、「道」を極めていきたいものである。

参考文献 『植芝盛平と合気道 U』(合気ニュース)