【第933回】 一刀流と二刀流で体と技をつかう

合気道の技や動きの多くは剣道の動きからきているといわれるから剣の動きを研究しなければならない。剣の動きが分かってくれば剣の動きで合気の技がつかえるようになるし、また剣もつかえるようになるはずである。合気のレベルで剣が振れ、扱えるようになるわけである。
長年このような稽古をしていくと、合気道での徒手と剣道の剣の技と動きが相乗効果を及ぼし合うようになる。合気道の技が上達すれば、その上達した分が剣のレベルアップになるし、また逆に剣のレベルアップがあれば合気の技がレベルアップするわけである。

その最近体験した例を挙げる。
以前から合気道の技は両手をつかって掛けなければならないと先生や先輩から聞いてはいたがどうしても片方の手をつかい、他方の手は疎かになっていることを実感した。正面打ち一教でも片手取り呼吸法でもそうだし、上手くいかないのはこのためでもあろうと両手をつかうように技を掛けてみたところ予想以上に上手くいったのである。
そこですべての技を両手でつかうようにした。特に技を掛ける最初の体勢は両手を拡げるようにした。そしてこの態勢は宮本武蔵の二刀流(写真)の体勢であると実感したのである。

そしてこの二刀流で技を掛けることにしたのである。何しろ達人武蔵の体勢であるから強力な力が発揮されるだけでなく理に適っているはずである。
二刀流での己の体を観察すると次のような事が分かってくる。 そこで徒手から剣である。これまで一刀流(一本の剣)で木刀を振っていたが、二刀流で振ってみたのである。合気の二刀流で剣を二刀流で振ると次のような事が分かった。 ここまでで一つ気づいた事がある、それは合気の片手取りは剣での一刀流、両手取は二刀流でつかう事ではないかという事である。
更に二刀流づかいは発展する。二刀流居合にである。太刀と小刀を抜くのである。これまでは太刀を抜くだけだったが、小刀も芸者の太鼓にならないように一緒に抜くのである。一刀が抜けなければ二刀は抜けないわけだが、合気道の陰陽十字の体づかいで抜けているので一刀は抜けていた。
恐る恐る二刀目の小刀を抜いてみたところ抜けたのである。太刀が抜けながら小刀が自然と抜けたのである。体が理に合ったつかい方がされれば、理に合った結果がでることが再確認できたのである。腰腹の十字の反転々々である。合気の技のすばらしさと居合道の技のすばらしさが分かったし、武は神がつくったという意味が分かった。

この二刀流の居合の手、体のつかいで技をつかうとこれまで不自然だった動きの問題は解決されたようだ。例えば、正面打ち一教で上げる手、呼吸法で進める手はこの二刀流の手でやればいいということである。
また、単独動作でこの二刀流の刀を抜く手で手をつかえばては自然に上がり、自分の力ではなく何ものかが働いてくれている力を感じるのである。これが探し求めている魂かも知れないと期待しているところである。