【第927回】 何かが働く美術の世界

以前にも書いたように、世界的に有名な美術家である篠田桃紅の絵画はまさに神業であると感じていた。彼女の展示会にいって現物を観たり、描いている姿を動画でも見た。彼女の絵画は意識して描くのではなく、無意識で、そして本人以外の何物かが描いているように見えたのである。合気道で云えば、神の描いた神業であり、魂の仕事ということになる。

彼女は2021年、107歳で亡くなったが、最近彼女のつぶやきを集めた本『私の体がなくなっても 私の作品は生き続ける』が出版されたので読んでみると、無意識状態で描いた事、神の働きで描いた事などを自覚していた事がわかる。その二つの例を記す。
  1. 「私のなかに天から降りてきて、ちょっと、私の頬を叩いているようなものかも。さっ、描きなさいよって。そういうものかもしれない。それがさあーっと消えちゃうのよ。でも何かが訪れたと思う。私は。だからそれを逃げないうちに、さっと留めなくてはならない。ものをつくるというのは、どこからか降りてきて、私に宿るんです。」
  2. 「ほとんど力など使っていないんです。腕がくたびれたなんてことはない。だから腕力じゃない。不思議といえば不思議。ただ筆が描いている。仕上がってみると、力強い線だけど、私の技術というものと筆の道具が生み出すあいだに何かがあるんですね。そこが芸術というものの秘密ですよ。誰が筆を使っても私のような線が引けるかといえば、引けないですよ。」
美術の世界では天から降りてくる何かが仕事をしてくれ、意識しないうちに素晴らしい作品ができているということである。
合気道もこれを目指して修業している。これを魂の学びという。この修業によって、魂、つまり神が技をつかうようにするのである。これを神業という。
合気道だけでなく、美術の世界や宗教界など他の世界でも神業の作品や働きになるべく奮励努力すわけだが、合気道は大先生だけが神業をつかえるのではなく、どのように修業をすれば神業をつかえるようになるかの方法、所謂、道を教えているところが他の世界と違うと思う。美術の世界で神業で作品をつくれるのは篠田桃紅のような限られた人、つまり天才であるが、合気道はやるべき事をやれば誰でも神業がつかえるようになるということである。合気道は科学なのである。大先生はそう教えておられる。