【第926回】 息陰陽水火

前回は「息陰陽」と題して書いた。そして最後に「息陰陽は今年(2023年)最後に発見した宝であり、息陰陽水火が来年の最初の挑戦事となるだろう。」と結んだ。しかし前回の「息陰陽」を書いた後1週間の道場稽古がまだ残っていたので、この息陰陽での稽古をしたところ来年の挑戦事項となるはずの課題が氷解してくれたのである。勿論、来年もこの「息陰陽水火」には挑戦し続けなければならないが、水火と云うモノがわかり、水火と息陰陽との関係等がわかったので書いて置くことにする。因みに、何故、完全になってから書かないのかというと、発見した喜びがある内でないと興味が無くなってしまうからである。興味が薄れてしまえば、この「息陰陽水火」について書くことも忘れてしまいそうだからである。忘れて書かなければ後進に申し訳ないだろう。もう一つの理由は、書くことによってこの「息陰陽水火」を更に掘り下げられるからである。頭でわかっただけでは上辺だけのものにしかならないと考えているからである。更にもう一つの理由は、一つの課題が解決されると次の新たな課題が生まれてくるからである。課題が残っている限り、新たな課題の提供はないのである。何ものかからは知らないが、新たな課題の提供があるのだ。が、必ず一つであり、あれこれと複数の課題の提供ではないのだ。変に見えるだろうが、これはこれまでの体験による事なのである。

さて、息陰陽水火にもどる。息陰陽は前回書いたわけであるが、実際相対稽古で技でつかうのは、上手くいったりいかなかったりと中々難しい。しかし、息陰陽で技をつかえばこれまでにない力が出るし、そして技は息陰陽でつかわなければならないことには間違いないと確信できる。
難しいと感じるのは、まず息を陰につかう事である。息が十分に陰で引ければ手は鋼のような強靱な手になるし、身体も強靭になるが、不十分な陰の息ではそれが出来ない。そして分かった事は、息陰陽だけでは不十分で手も身体も完璧な強靱な手や身体にならないということである。そして息陰陽が十分に働くためには水火の働きが必要であるという事である。

そこで水火とは何か、どのような働きをするのかということになる。
「合気道は布斗麻邇の御霊から割れ別れし水、火をいただいて、人類のうち(つまり技)に現わしていく事であります。」と言われるから、まず水火とは何かを形にすると、水火を布斗麻邇御霊から割れ別れた象は下記のようであるという。(『大本言霊学』)

水火はイキでもある。言霊秘書 山口志道霊学全集には次のように書かれている。「天地の間に眼に見えさるミツあり。是を火水カミとも云う。神と唱ふるは躰にして火水イキと唱るは用なり。故に陰陽と陰陽とをクミて万物を産むなり。」(言霊秘書 山口志道霊学全集)
つまり、息とイキがあり、この息とイキの違いは「息」が人の呼吸、「イキ」は天地、宇宙の呼吸と考える。

次に水火の働きである。大先生は水火について次のように教えておられる。
「一挙一動ことごとく水火の仕組みである。いまや全大宇宙は水火の凝結せるものである。みな水火の動きで生成化々大金剛力をいただいて水火の仕組みとなっている。水火結んで息陰陽に結ぶ。みな生成化育の道である」
宇宙、万有万物はこの水火の仕組みで出来ているし、合気の技も水火の仕組みでつかわなければならないということである。
つまり、合気の技は、この水火の仕組みの中でつかわなければならないことになる
息陰陽水火は陰陽の息をこの水火の仕組みに結ぶことである。陰の息を○の水に結び、陽の火を●の火に結ぶのである。息陰陽を水火に結ぶと陰の手と身体はこれまで主に縦方向の力・気が出ていたのが横方向、つまり全方向に発し、更に強固なモノになる。

因みに、水火の働きは合気道の技だけにあるわけではなく、人等の生物に働いている。息づかいは水火である。心臓は水火で営んでいる。歩行を注意すると、歩行もこの水火、そして息陰陽水火になっていること気づくだろう。
また剣を振るのも、杖を振るのも、更に準備運動や四股踏みも水火でやればいいようだ。
宇宙に水火がつまっていて、水火で営んでいるとはこれと同じはずである。故に、宇宙というものをこれで少しは想像できるし、一体化の可能性も見えてくる。

息陰陽と水火は一体になって働き、金剛力を生み出すのである。来年はこれを磨いていくことにする。この修業から魂というものがわかるような気がする。来年が楽しみである。