【第922回】 魄が下になるように体と技をつかう

魂で技がつかえるよう四苦八苦している。お陰で少しずつその方向に向かっているようである。
今回は、魄が下になる、ならなければならないということをもう少し掘り下げてみることにする。動機は、この事が重要であることを再認識したからである。魄が下になるように体と技をつかうと合気の技になるが、魄が上になると魄の力の技になるということが確認されたのである。また、魄を下にして体と技をつかうのは容易でないという事も実感することになったのである。片手取り呼吸法ではこれがわかりやすい。因みに、魄が下になるとは相手と接している己の手の下に相手を置き続けることであると考えている。

魄が下になることが大事な事は大先生が教えておられるわけだから間違いないし、身に着けなければならない。そうしなければ真の合気道にならないわけである。自分がそれを多少できるようになると、それが確信できるのである。また、更に重要であることは、「魄が下になり、魂が上、表になる」であるから、魄が下になるということは、その魄の上や表に魂が現われるということになることである。現われれば魂とはどのようなもので、どのような働きをするのかが分かるはずだからである。

しかし、魄を下にして体と技をつかうのは難しいようである。他人に教えてもなかなか出来ないのである。大先生が云われているように、自分が出来た事を他人がすぐにできるものではないから仕方がない。しかも経験上、時間を掛けて稽古していけば上達するということでもないと考える。やるべき事をしっかりやらなければ上達はないのである。
魄が下になるにしても、稽古を積めばできるようになるわけではない。稽古を積むことは必要条件ではあるが十分条件ではないからである。やるべき事をやっていく事が必要十分条件を満たすことになるわけである。

初心者は魄が下になる体づかい・技づかいなど気にしないで稽古しているから、魄が下になっていない事とその弊害をよく分からせてくれる。例えば、手をバラバラにつかっている事である。手を左右に振り、手を上下につかっている。そしてこの手を上げる動作は有段者になっても続き、そこから抜け出せなくなってくるのである。考え方、やり方を変えなければならないのである。

魄を下にするためには、手を上げるのではなく、手は上がらなければならない。手を上げたら魄は上になってしまうのである。これが魄の技ということになるわけである。
手が上がるようにするにはどうすればいいかということになる。これを考えてまとめてみるが、魄を下につかうのは結構難しいと思う。やるべき要素がいくつかあって、それに同時に働いて貰わなければならないからである。
そのやるべき要素として、

もう一度、合気道は科学であるという教えを肝に銘じることである。やるべき事、つまり大先生の教え、合気道の教えを身につけて行けば、誰でも同じ結果を出すことが出来るという事である。