【第918回】 神習い

前回まで魂である神様に働いて貰わなければならないし、神様が働いてもらうための環境づくりをしなければならないと書いた。
しかし、天の村雲九鬼さむはら竜王などの神様がいつ働いて下さるのかは分からない。明日かもしれないが、1年後、10年後かも知れないし、もしかすると己の存命中にはお越し願えないかも知れない。ということは神様だけに任せてはおけないという事である。それではどうするかというと、自分が神になって働く事である。神にはなれないが、神のように働くことはできるはずであるからである。そのためには神様から教わる事が必要になる。これを大先生は神に習う、神習いと言われているのだと思う。

大先生は神習いをどのように言われているかというと、『合気神髄』には次のように書かれている。長文だが関係個所を抜き出す。ここでは直接関係ないような部分や重複する分もあるが残してある。
の気というのは、宇宙組織の気である。造り主のことである。この造り主の大神様に神習うてやっていくことである。その次には、次に投げ打つとことの禊の神の御名は道之長乳歯神(みちのながはのかみ)ということ。こういうこともまた、教えになっている。「からだ」は五臓五体といって造り主に神習い、足は高御産巣日、神産巣日となって、つまり霊系の祖と体系の祖に神習い、三位一体である。気はちょうど、三角法になっている。そして頭の働きは両手にまかす。これが伊邪那岐、伊邪那美の大神様の気を受け、神習うていかなければならない。そこで「からだ」は五臓五体、造り主に神習う。また足は、胴の動きは両足に持っていかなければならない。これが高御産巣日の霊的な祖、これが体的な祖に結んでいかなければならない。そしてすべての神の御名というものは全部、我々に対する教訓であり、我々の日々実行すべきところの教え日本人も西洋人もない。地球万有こぞって伊邪那岐、伊邪那美の大神様の御息いただいて、並んで呼吸を営んでいるからである。その後のすべての行いは地球修理固成のことであり、我々は要するに、この大元素の気を悉く生みなしてくれた伊邪那岐、伊邪那美に神習い、我々はそれをいただいて人生を営んでいるのである。」(合気神髄P146)」
ここで神習うのは、

  1. 造り主から魂の気、宇宙組織の気を神習う
  2. 造り主から五臓五体を神習う
  3. 霊系の祖と体系の祖である高御産巣日、神産巣日から足の動きと胴の動きを神習う
  4. 伊邪那岐、伊邪那美から気を受け神習う
従って、神習いとは、己が宇宙の造り主になり、高御産巣日、神産巣日となり、また伊邪那岐、伊邪那美になって、それらの神様からの働きを習うということであると考える。
勿論、これ以外の神習いはある。何せ、八百万の神様が居られ、御協力くださるわけだからである。それは追々研究することにする。