【第914回】 気は魂であり、気の力は魄の力

魂に挑戦している。難敵ではあるが少しずつ氷解している。気が分かってきたお蔭でその対象にあると思われる魂と比較するようになったからである。
いつものように『合気神髄』を読んでいると、「神々が合気の出現を寿ぐ」の項で「気」と「魂」に関して大事な教えがあることに気づいた。これまで何十回も読んでいたはずなのに気づかなかったというより分からなかったわけである。
これを機に、これまで分かった魂と分からなかった気についてまとめてみることにする。

まず、上記の「神々が合気の出現を寿ぐ」の重要と思う関係個所を抜粋する。

この文章の中のブロック文字のところが重要であるのでそれを解明してみることにする。

始め霊界を造らねば気は生まれぬ:
*魄の稽古をしている間は気が出て来ないし、つかえないということである。これまで書いてきたように分かっていた事ではあるが、これで確認 できたことになる。

形より離れた自在の気なる魂、魂によって魄を動かす:
*「気なる魂」ということは、魂は気でもあるというのである。
*技を気でつかっていき、気を練っていけば魂も産まれということである。
*しかし、気と魂は同じであるだろうが、違いもあるはずである。つまり、同じものと違いものがあるということである。
そこでそれを次のように考えてみた: 
 気は体(もの=魄)の幽
 魂は幽(見えないモノ=心、精神)の幽 
気と魂で共通するものは幽(人の目に見えない世界)で、そして形がないことである。違うのは体と幽である。気は体でまだ魄の次元にあり、故に、気力は魄力なのである。これを大先生は「ものの霊を魄といいますが、これは気力といいます。合気は魂の力です。」と教えておられる。      
魄を動かすのが魂であるということは、魂で気をつかい、身体をつかえということである。
*「形より離れた自在の気なる魂」とあるように、まずは気・魂が自在に働けるよう形を作らなければならない。形がしっかりしていなければ気も魂も働かすこともできない。そして形がしっかりしたら、次にその形から離れなければならないということである。

気の流れを知りつくせ:
*気には流れがあり、
*気の流れを探しだし、身に着けなければならない。最近発見した気の流れは、
<例> 魂は自分自身で創る:
*魂は宇宙の魂、天地の心など遠いとことにあるものと考えていたが身近に、そして身の内にあるということである。気を練るように魂も練っていけば、気が魂に変わっていくと考えている。
技がどのように変わって行くのか楽しみである。 

これで魂がぼんやりながら見えてきたようである。魂の研究を更に続けることにする。