【第913回】 ピカソと合気道

これまで疑問と云うか、何かしっくりせずに頭の片隅に残っている事がある。普通は頭の片隅にある疑問は忘れているが、ある時それが現われる。その問題に関係があることが現われることによってそれが突然引き出されて現れるようである。
今回現われたのはピカソの絵が合気道の教えの「真善美」を引き出してくれたのである。引き出してくれたとは真の意味を教えてくれたということである。

合気道を始めた頃から、合気道は「真善美」の探究であると教わってきたが、武道である合気道が何故「真善美」を探究しなければならないのかよく分からなかった。勿論、少しは分かっていたし、その方向で稽古をしてきた。合気道は武道であるから、敵に負けないように強くなければならない。これが基本であるはずだ。「真善美」では敵を制することは難しい。しかし、「真善美」は必要だとは思っていたが、自分が納得できるようなしっかりした説明が出来なかったのでもやもやしていたわけである。

そしてこの答えを出してくれたのがピカソの絵である。ピカソの絵も以前から魅力的だったがよく分からなかった。何故、眼鼻が別の方向を向いたり、悲しみと喜び等の別の表情を一つの絵に描くのが理解出来ず、もやもやが頭に残っていたのである。

今回、ピカソの絵で分かったことは、平面の画面に対象物を多方向や立体的、また、感情変化や時間経過など二次元上に三次元・四次元に描いているということである。普通の絵は二次元の紙に画くが二次元以上の次元を表現しようとしているように見える。例えば、絵の具を盛り上げたり、影をつけたり、遠近法で三次元・四次元を表そうとするが、ピカソは彼の方法でそれを表わしたのである。三次元・四次元を一つの絵の中に独自の方法で描いたわけである。

さて、合気道である。合気道は武道であるから強くなければならない。しかし、合気道の強いだけでは不十分であるという事なのである。そこでピカソの絵との関係である。合気道も強い弱いの二次元では十分ではないという事である。何かが不足しているからそれをプラスしなければならないのである。
そのプラスするものこそ人間の根本義である「真善美」だったのである。「真善美」が二次元、三次元ということになるのだろう。大先生は「人間の根本義は志操、篤実、品行方正にして、慈善心、至誠心あることを必要とし、真善美を基に、これを保つことである。」と言われているのである。武道の根本義に人間の根本義が一緒にならなければ駄目だということだろう。

お陰でこれまでのピカソと真善美のもやもやが晴れたようである。