【第911回】 息のひびきと天地のひびきをつなぐ

合気道は主に技を練って精進していく武道なので、道場での相対で技を掛け合い、受けをとり合って稽古している。はじめは合気道の基本の形を覚え、体をつくっていくが、その内に覚えた形で稽古相手を投げたり、押さえたりしたくなるようになる。しかし、形では相手を投げるにも、押さえるにも限界があることが分かってくる。そして本当の合気道の稽古がここから始まることになる。

技の稽古に入る事になる。宇宙の営みを形にした技、宇宙の法則に合した技を基本の形に組み込み、形を技にしていく事である。陰陽、十字、円の動きの巡り合わせ、魂魄阿吽の呼吸、布斗麻邇御霊等などである。
そしてこれまで肉体主動の技づかいから、息で肉体をつかい技を掛けるようになってくる。これまで書いてきたように、技は心と体で掛けるわけだが、心と体は別物であるので一つになって働いてくれない。その別物を一つに結び付けて働かすのが息である。はじめはイクムスビの息づかいで心と体を結び、体と技をつかえばいい。しかし、この息づかいで技をつかうのに問題が生じてくる。息切れがすることである。息には限界があって、どこかで息継ぎをしなければならなくなるのである。息継ぎをすれば体の動きが止まったり、体が崩れてしまうので武道的には危険であり、避けなければならない。

この息継ぎをカバーし、体の動きを止めずにするのが気である。気によって息切れをカバーするだけでなく、息を強力にしたり、長くしたり、超速にすることが出来るようにする。これを大先生は「気の妙用は、呼吸を微妙に変化さす生親(いくおや)である。」と云われている。

これまではこれで体と技をつかってきたが、最近、まだ十分な力が出ていないし、つかわれていないと感じるようになったのである。相手が思い切り打ってきたり、掴んでくる攻撃をまだ十分上手く捌けていないということである。相手を倒したり、押さえたりすることが出来ても、何かがおかしいと感じるのである。そのためには何か新たなモノを身につける必要があるという事である。

そして考えて分かったことは、自分がどんなに頑張っても人間一人の力など高が知れているということ、また、相手は同じ人間であるわけだから多少の差はあるだろうが、同じであり、それほど違わないという事である。だから相手が力一杯打ったり抑えてくれば力は拮抗してしまうし、争わないまでも動きが止まったりするわけである。

異質の力をつかえばいいわけである。これを大先生は、「合気はいつもいう通り、地の呼吸と天の呼吸を頂いてこの息によって、つまり陰陽をこしらえ、陰陽と陰陽とを組んで、技を生み出してゆく」(「武産合気」)といわれていたわけである。天と地の力をお借りすればいいわけである。天の呼吸と地の呼吸で体と技をつかうのである。

天の呼吸と地の呼吸は親音“あおうえい”の“あ”と“お”でする。“あ”で天の呼吸につなげ、“お”で地の呼吸につなぐのである。これを「息のひびきと天地のひびきをつなぐ」(合気神髄P.84)という。
どうして天地と己が呼吸をつなげることが出来るかと云うと、大先生は次のように教えておられる。「人の身の内には天地の真理が宿されている。天地の万有は呼吸をもっている。己が呼吸いきの動きは、ことごとく天地万有につながっている。つまり己の心のひびきを、ことごとく天地に響かせ、つらぬくようにしなければならない。」

確かに、“あ”から“お”で地にイキ(気)が下りると、“う”と自然と気が横に拡がりそして縦に伸びる。手は“う”の気で自然に動く。手先が腹としっかり結んでいれば強力な手が働くことになる。この手は上げよう、動かそうとした手ではなく、地のひびきから上がる手である。
これが「息のひびきと天地のひびきをつなぐ」ということであるが、息のひびきとは親音“あおうえい”の言霊のひびきということになろう。
これからは「息のひびきと天地のひびきをつなぐ」を心掛けて稽古をしていこうと思う。