【第909回】 地の呼吸・潮の満干で技を

合気道の道場に稽古に通っているが、稽古時間の始まる前と終わった後の自主稽古で、毎回、技の研究をしている。新しい発見や、何か考えが浮かんだときにそれを試すのである。呼吸法や正面打ち一教で試すのである。道場には稽古相手がいるので、一人稽古では得られないものが多い。
最近、坐技呼吸法を稽古することが多くなった。坐技呼吸法で試すことが多くなったということである。
直近では、地の呼吸の潮の干満である。これまで地の呼吸も潮の干満もよく分からなかったが、坐技呼吸法でそれが大分わかった。

こちらに力が付いてくると、稽古相手も力をつけて来る。立ち技では何とかできても、坐ってしまうと動かなくなってしまう。力(魄力、腕力)では若い力には敵わないことを実感するわけである。
そこで最近悟ったところの、他の力、天地宇宙の力をお借りすればいいということになる。しかし、その天地宇宙の力の何をどうつかえばいいのかがわからない。
そして試行錯誤しながら坐技呼吸法をやってみたところ、思い切り力を入れてきた相手を自在に制し、導く事ができるようになったのである。

そのポイントは、持たれた手で操作するのではなく、しっかり地につけた足で手をつかうということである。しっかり地に足をつけるためには、天の呼吸で地の呼吸を産み、地に気(イキ)を落とす。布斗麻邇御霊のである。言霊で云えばア、オである。
そしてに引き続きが働く。これが潮の満干である。
これが次の大先生の地の呼吸と潮の満干の教えである。
「天の息と地の息と合わして武技を生むのです。地の呼吸は潮の満干で、満干は天地の呼吸の交流によって息をするのであります。天の呼吸により地も呼吸するのであります。」(『武産合気』P.76)

これで坐技呼吸法をやればいいが、正面打ち一教でもこの地の呼吸と潮の満干が必須である事もわかった。正面打ち一教が上手くいかない原因は、この地の呼吸と潮の満干が出来ていないか、無視されているためと見る。特に、潮の満干の干が弱く、手が縮こまっているからである。

勿論、坐技呼吸法が上手くいくためには他にもやるべきことがある。例えば、足と反対側の手を出す。手と反対側の足から手側の足に体重を完全に掛ける。体重が完全に掛かったところで反対側の足に体重をのせるようして手を出す。上げる手は顔の前で手鏡になるようにつかう。手鏡は腹と顔の正中線を外れないようにし、手鏡の手は手で動かすのではなく、腰腹と顔で動かす等である。これは以前、研究し身につけたものである。つまり、一つ一つ必要な事、要は法則を積み重ねていかなければならないということである。その積み重ねがなければ、地の呼吸と潮の満干もつかえないだろう。しかし、やるべき事をしっかりやっていけば誰にでもこの坐技呼吸法もできるようになるはずである。何故ならば、合気道は科学であるからである。