【第908回】 手鏡をつくり、つかう

合気道の技は主に手で掛けるので、手は大事である。しかし思うように手をつかうのはなかなか難しいものである。そもそもこれに気がつかないだろう。手は思うように動いてくれるし、自由につかっていると思っているからである。
だが段々と力が付いてくると、相手も力一杯打ってきたり掴んでくるようになるので、それまでのように手が働いてくれない事に気づくことになる。
本格的な手のつかい方の稽古はここから始まることになると考える。

手を思うようにつかうとか、手が働くとはどうゆう事なのか考えなければならない。まずは腰腹(体)や地からの力が流れる手、そして相手の力に制されない手でなければならない。これは魄の稽古で身につけることができる。
次に手先の動き(軌跡)が切れず、止まらず動くことである。前段での手は直線的な動くになるので手の動きは切れたり止まってしまう。
従って、手の動き、手の軌跡は美しくなければならないことにもなる。美しいとは無駄がないこと、しかし必要なものはあるということである。美であれば真と善ということにもなるわけだから、己も相手も納得することになる。争いはなく和することになり、技が決まるわけである。

それでは手が力強く、美しい軌跡で動くためにはどのように手をつかえばいいかと云う事になる。どの技でも、また誰もが出来る法則があるはずである。
それは手鏡であると考える。手鏡をつくり、手鏡をつかうのである。それをもう少し具体的に云えば、相手と接するとき、及び相手を導く時は手鏡でやるのである。これが分かりやすいのは、中々難しくて上手くいかない「正面打ち一教」「坐技呼吸法」などをこれでやると上手くいくはずである。

手鏡をつくって技を掛けると、手を動かさなくとも手は自然に返り、動く。これが手は動かすのではなく動くようにするということである。そして手鏡をつくる事によって腰腹の力が手先まで集まり大きな力が出るのである。この力は、所謂、気の力であり、相手をひっつけ、そして凝結する力である。

手鏡は小から超特大のものまでつくることができる。小の手鏡は手首、中の手鏡は肘、大の手鏡は肩、特大の手鏡は胸鎖関節、超特大の手鏡は腰腹を支点とした手鏡である。しかし一般的で一番多くつかうのは手首による小の手鏡である。尚、手鏡をつくり、つかう際、手鏡を顔の前でつくり、つかう事が重要である。言うなれば、顔で手鏡をつくり、つかうということである。

これで手は力強く、止まることなく美しい軌跡を描いて自ら動いてくれ、相手とも一体化する技になるだろう。