【第899回】 岩戸開き

ここ数回に亘って書いているように、重点的に正面打ち一教を探究している。そこで最近分かったことは手鏡の重要性である。手鏡により相手の打ってくる手を制し、導く事ができるし、気が生まれ、魂(神)が表に現われるようになることが分かってきたのである。過って本部道場で教えておられた有川定輝先生の正面打ち一教は(写真)、強力で隙もない武道的な意味でだけでなく、作為のない、無駄のなく、美しい芸術的な技と動きであった。その強さと美しさが手鏡にあったことが最近わかったのである。

正面打ち一教は手鏡でやると上手くいくが、手鏡にならなかったり、不十分な手鏡ではいい技にならないことを確認した。手鏡は正面打ち一教だけではなく、正面打ち入身投げでも、また、呼吸法でも必須であることも分かった。恐らくすべての合気道の基本技で必須の法則であると考える。

そこで、何故、手鏡が合気道の技をつかうにあたって必須なのかを考えた。
大先生は、合気道はフトマニ古事記の教えに則ってやるようにと言われているが、古事記に(手)鏡のことが次のようにある。
「暗闇から光を取り戻すため、古事記では、天児屋根神が太祝詞(フトノリト)を唱え、天照大神の偉大さや美しさを目一杯褒め上げた。 天照大神は、これを聞いて大いに喜んだ。しかし岩戸から出てはもらえなかった。そこで、天宇津女命が舞台の上に躍り出て舞を舞い始め、神懸かり状態になる。神々は大いに笑った。神々の笑いを不審に思われた天照大御神は、岩戸を細めに開く、隠れ待ち構えていた手力男命が岩戸に手を差し入れて戸を開き、同時に、を天照大御神の前に差し出す。この時、すかさず天太玉命が、結界としての注連縄を天照大御神の後方に張った。こうして再び日の神たる天照大御神は岩戸の中に帰ることができず、太陽の光を取り戻したのである。」
つまり、鏡を天照大御神の前に差し出すことによって天照大御神を表に出したということなのである。これを岩戸を開いたという。鏡を差し出さなければ神(天照大御神)は外(表)に出なかったわけである。岩戸閉めである。神を表に出すとは、岩戸開きであり、合気道では魂を魄の上、表に出すということであるから、鏡(手鏡)をつかわなければ、岩戸は開かず、魂の技がつかえないということになるのである。

それでは合気道の技をつかう上で岩戸を開くとはどういうことなのかというと、仙骨を開くということだと考える。正面打ち一教で腹と手先を十字にして手鏡をつくると仙骨が開き魂(神)が体の表に生まれるのである。この魂の力が働くと受けの相手もこの魂の力で包まれ、こちらの魂と一体となると自覚する。相手の手や体を掴まなくとも、一寸触れているだけで相手を自在に導く事ができるようになるのである。
これから正面打ち一教を基として他の基本技でも、手鏡で岩戸開きをし、魂で技をつかうようにしたいと思っている。