【第895回】 正面打ち一教に再挑戦

今度は正面打ち一教を研究している。これまでは主に呼吸法を研究してきたが一段落したようなので、呼吸法の研究を一旦置いておくことにした。勿論、呼吸法も研究し続けなければならないので、もし何かあればその都度研究することにする。
呼吸法の研究を中断したのにはもう一つの理由がある。それは正面打ち一教があまりにも下手であることがわかったからである。長年稽古をし、段も高いのに、それに比べていやになるほどレベルが低いと思ったのである。そこで何とか稽古年数や段位に恥ずかしくないよう、レベルアップしようと決心したわけである。私は器用な方ではないので、呼吸法も一教もということはできないだろうから、呼吸法に代えて一教にしたわけである。また、道場での自主稽古の時間は長くないので両方は難しいと思うからである。

これまでも正面打ち一教は大分研究してきた。合気道の基本技の基本、基本中の基本ということがわかっていたから、この技は大事に稽古をしてきた。
そしていろいろな発見があり、大事な法則を学んだ。正面打ち一教から学んだ最大のものは、手を剣としてつかうということであった。名刀のように折れ曲がらす、歪まず、峰と刃筋が強靱で、手刀を刃としてつかい、常に刃筋が相手の体に通るようにつかわなければならないということである。
また、強靭な手をつくるためには、手の親指に気を満たし、気を出さなければならないが、気を生み、気をつかうということが感得できるようになったことである。

ある程度は体ができ、正面打ち一教がつかえるようにはなっていたわけだが、これではまだまだ不十分だということが分かったわけである。例えば、力が強い相手が、遠慮なく思いっ切り打ち込んできたり、相手が倒れまいと頑張ったりするとお手上げなのである。
周りを見ていてもこのような力一杯の稽古はやっていないようだが、本来の稽古は、相手に思い切り打たせたり、掴ませたりする稽古だと考える。勿論、初心者にはむりだろうから、それ相応の加減は必要だが、高段者や長年稽古をしている者はこれに挑戦すべきだろう。何故ならば、本当の稽古はここから始まると考えるからである。強く打たれたり、掴まれたりして動けなくなったら、そこで何故そうなったのか、出来なかったのか、原因はどこにあるのか、それをどう解決すればいいのか等を研究できるからである。つまり、上手く出来たと思えば、満足し、研究しないものである。出来なかったのがチャンスになるのである。失敗は成功のもとである。沢山失敗すればいい。一つの失敗が解決すると、必ず次の問題がやってくる。この繰り返しである。しかし、これが上達であり、精進するということと考える。
これからも正面打ち一教で難題がまっているだろう。挑戦し、そして精進していきたいと思っている。