【第894回】 天の浮橋に立たねば武は生まれない

技を掛け、受けを取り合い長年にわたって稽古を続けている。長年稽古しているので技も大分効くようになるわけだが、最近何かおかしい、何かがまだ欠けていると感じるようになったのである。
これまで気付かなかったわけだが、自分の技の動きをよく観察して見ると、掛けた技は効くようだが、技を掛ける直前、つまり相手と接触するまでの動きがおかしいということが分かった。相手が打ってきたり、手を掴んでくるなどして接触するまでがおかしいのである。定まった姿勢や動きが取れずバラバラなのである。
そこで気づいたことは、相手との接触直前までにも技と同様に何か法則があるのではないかということである。

この問題解決もやはり大先生の教えにあったのである。大先生は、「合気道は、どうしても<天の浮橋に立たして>の天の浮橋に立たなければなりなせん。これは一番のもとの親様大元霊、大神に帰一するために必要なのであります。またほかに何がなくとも、浮橋に立たねばならないのです。大神様に自己を無にして、自分は鎮魂帰神の行いにかなうように努めることであります。」と教えておられるのである。天の浮橋に立たねば武は生まれませんといわれているのである。
また、天の浮橋については、「「ウ」は浮にして縦をなし、「ハ」は橋にして横にして横をなし、二つ結んで十字、ウキハシで縦横をなす。その浮橋にたたなして合気を産み出す。これを武産合気といいます。」と言われているのである。
この十字はこれまでやってきた布斗麻邇御霊の天之御中主神御霊と高皇産霊神・神皇産霊神御霊でつくられると考える。は息を吐きながら腹中を膨らませ(横)、で天の息を地に下し(縦)十字、つまり天の浮橋に立つことになる。
技をつかう際、相手と対峙し接触する前に十字をつくり、天の浮橋に立たなければならないということである。

技はこの天の浮橋に立ったところから掛け始めなければならないわけである。これまで上手くいかなかったのは、天の浮橋にしっかり立たずに技をつかい始めたためだったわけである。
古事記では伊邪那岐神と伊邪那美神がヌボコで塩をかき混ぜて島をつくる作業をするが、そのためにこの二神は天の浮橋に立ったとある。参考までにこの原文の最初を記すと、「故二柱神立天之浮橋而指下其沼矛以畫者塩・・・・」とある。
これまでの御霊の事は知っていたが、その重要な働きとつかい方がよくわかっていなかったということである。
技を掛ける前にも天の浮橋にしっかり立ってからやることにする。