【第888回】 愛と誠を売り込む

合気道は技を練って精進していく。一般に、道場で相手に技を掛け、受けを取りしての稽古で上達していく。
初心者の内は、機械的に4回相手に技を掛けたら、4回相手の受けを取りを繰り返す。この時点では問題はない。
しかし、慣れてくると、今度は何とか相手を倒そうと技を掛けようとするようになる。自分が相手を何とかしようとすれば、相手は必ずそれを察知し、そうはさせまいと抵抗したり、頑張ってきて、そこに争いが起こることになる。つまり、技を掛ける際の心掛けによって争いになってしまうということである。誰でもそうならないように心がけるのだが上手くいかないのが現状である。
それでは心がけをどうすれば、争わず、しかも自分が満足できるいい稽古が出来るのかということが課題になる。

やはり大先生に教えて頂くことだろう。大先生は次のように言われているが、これがそれに答えてくれるだろう。
「我が国の経済は精神と物質と一如であります。日本では「売る」方が先であり、日本のはすべて「誠」を売り込む、「愛」を売り込むのであります。
武道におきましても、先ず愛を売り込み、人の心を呼び出すのであります。」(「合気神髄P.47」)
尚、この最後の文「武道におきましても、・・・」は、「武道におきましても、先ず愛を売り込み、次に「誠」・・・・・を売り込み、そして人の心を呼び出すのであります。」ということだと思う。
つまり、相対で稽古をする際は、「愛」と「誠」で技をつかえばいいということだと考える。

まず、「愛」である。「愛」とは何か、「愛」の働き、「愛」の重要性・役割を見てみよう。
大先生の愛の教えは、「合気は人類のみならず、万有を愛で結ぶ紐線であります。その道の達人がかなでる音声や話というものは天地に響き、天地と和合して万有と和合して、万有和楽の世界が具現するのであります。」
また、「日本の武の根元は愛であります。世の中はすべて愛によって、形づくられているのであります。文化も科学も愛の大精神から出ているのであります。天地の間に立って、人はこの愛を紐として世に造化の道にいそしむのであります。すべてのものを喜んで兄弟としていく道であります。」と言われている。ここからわかることは、

となるだろう。

相対稽古で争いにならないためには「愛」を売り込む稽古をしなければならないということである。

尚、「愛」の他に「誠」も売り込まなければならないわけだが、「誠」に関しての教えはないようなので想像することになる。
先ず、「誠」について「愛」のようなご説明がないということは、特別な意味ではなく、一般的な意味でつかわれているということだと思う。つまり、売り込むべき「誠」とは、うそのない心。神に誓うときの心。真心。心を込めるという意味等ということになる。
確かにこの「誠」の心で相対して稽古をすれば相手も納得して、争いもないだろうが、実際には「誠」、「誠」の心が上手く働かず、売り込む事もできないだろう。心が不安定で、何が「誠」で、何が「誠」でないかが分かり難いからである。

これまで合気道の修業から、心が複数あることが分かっている。一つは自分がそう思っている心。何かやりたいとか、これは嫌だと思う心である。次に、その心を見ている自分ではない心がある。自分の心をそれは駄目だとか、こうした方がいいと示唆してくれる心である。是を真の心といい、合気道では宇宙の心、魂といっているモノであろう。
つまり、売り込む「誠」は宇宙の心・魂である真の心ということになる。従って、相手に掛ける技は宇宙の意に則した、つまり、宇宙の法則に則った技をかけることが、「誠」を売り込むことになると考える。