【第826回】 魂への道
合気道は魂の学びであると教わっているが、これまでよく分からなかった。しかし、この教えを身に着けるべくいろいろ挑戦している。合気道から真の合気道、武産合気の道に入り、腕力や体力の魄の力から、息、そして気で技をつかえるようにしている。そして気で技と体をつかえるようになってくると、魂が見えてきたようなのである。やっと魂の次元の入り口に立つことができたようである。
これまで息や気でもやってきたわけだが、大先生の教えに従って、技づかい、体づかいをすれば、己の求めているものに出会えると信じていた。つまり、気にしても、魂にしても大先生が教えて下さっているということである。後は、われわれがその教えを実行するかどうかに掛かっているだけという事である。
気もまだ十分には分かっていないし、つかう事も十分ではないが、多少は理解し、つかえると思うから、後は稽古を続けて更に身につけていけばいいと考えている。
魂も同じようにして、身につけていきたいと考えている。
尚、これまで遠くにあり、別次元にあった魂が身近になったのは、気のお陰である。気を身につけ、つかえるように稽古をしたお陰で、魂に結びついたと考える。ここから分かったことは、やるべき事を順序よくやっていけば、目標に辿り着くということである。(魄)⇒息⇒気⇒魂である。
具体的に謂うと、「気の世界・気・流体、柔体・固体の世界というように、各層をすべて浄めるみそぎのわざ」をやることによって、気の働きを実感し、そしてそこに魂が現われることを感得できたということである。
大先生が、「この大なる合気のみそぎを感得して、実行して、大宇宙にとどこうりなく動き、よろこんで魂の錬磨にかからなければならぬ」(武産合気P103)と教えておられるように、みそぎを感得し、実行したら、今度は魂の錬磨にかからなければならならない、つまり、魂の鍛練に移れるといわれているのである。
それ故にこれから魂の錬磨に入りたいと思っている。
そこで大先生は、魂をどのように教えておられるのかを『武産合気』『合気神髄』からおさらいすることにする。合気の魂とは何か、どのような働きがあるのか、魂の不可欠の理由、魂がめざすもの等である。
大先生の魂の教えは多く、多種多様であるので、己に分かり易いように次のように分類してみた。
<魂への道> 魂の世界に入るまでの道。これはこれまで書いてきたが、序として付け加えることにする。<魂とは>、<魂で何がどう変わるのか。何が出来るのか>、<魂が目指すモノ>
しかし、分類していくと、明確に分類できない事が分かってくる。一つの文章に、これらのテーマが同居したり、他の文章と跨っていたりするからである。従って、余り深刻に考えると先に進めないので、これまで同様、エイヤーで分類することにした。
<魂への道>
- この大なる合気のみそぎを感得して、実行して、大宇宙にとどこうりなく動き、よろこんで魂の錬磨にかからなければならぬ。(武産合気P103)
- 大地のひいきが「アイウエオ」。天からの気が下がって「アオウエイ」神の御柱。その霊の働きによって一霊四魂三元八力、全身に拡がる大きな動きは宇宙に気結び、御結びされる。(合気神髄P.131)
- ス声が生長して、スーとウ声に変わってウ声が生まれる。絶え間ないスの働きによってウの言霊が生じるのである。ウの霊魂のもと物質のもとであります言霊が二つに分かれて働きかける。御霊の両方をそなえている。一つは上に巡ってア声が生まれ、下に大地に降ってオの言霊が生まれるのである。上にア、下にオ声と対照で気を結び、そこに引力が発生するのである。(合気神髄P111)
- 天地の呼吸に合し、声と心と拍子が一致して言魂となり、一つの技となって飛び出すことが肝要で、これをさらに肉体と統一する。声と肉体と心の統一ができてはじめて技が成り立つのである。典型的な言霊:ウー、エイ
- 合気は魄を排するのではなく土台として、魂の世界にふりかえるのである
- 合気は絶えず宇宙の精妙を吸収し、もの悉く同化し大霊に帰納する。技は動作の上に気を練り気によって生まれる。その気が全身にめぐり各器官たる全六根を浄め、天授の使命を完うする。又魂をその中におこし、磨き妙なる技を出し、又光を出し光となって、その光を地場として、魂は大霊に帰納し、技は妙なる技を出し、その道筋は七代の神のごみいず(御働き)のもとに八大力の気のみ働きを起こして、大なるみそぎ道となる。(武産合気 P.104)
- 合気はある意味で、剣を使うかわりにい自分の息の誠をもって悪魔を払い消すのである。つまり魄の世界を魂の世界にふりかえるのである。これが合気道のつとめである。魄が下になり、魂が上、表になる。それで合気道がこの世に立派な花を咲かせ、魂の実を結ぶのである。(合気神髄P.13)
- しかし、武道は、宇宙の理を悟り、神人合一、神と人とは気を合わして世の初めに神習いて武道を興す、という一念により武の気魂現れる。これ、武の元の心の初めである。(合気神髄P.21)
- 合気はまず十字に結んで天ていから地てい息陰陽水火の結びで、己れの息を合わせて結んで、魄と魂の岩戸開きをしなければならない。魄は物の霊を魄という宇宙組織のタマのひびきが魂である。宇宙を動かす力を持っていなければいけない。天の運化が、すべての組織を浮きあがらせ、魄と魂の二つの岩戸開きをする。これをしなくてはいけない。そうでなかったら本当の人にはなれない。それには心の洗濯が大切である。(合気神髄p88)
- 我々は六根ばかり頼ってはいけない。仏教では六根清浄などというが、六根というものは、この顕界において、この明るい世界を眺めるために肉体にそなえたものである。しかし物質の世界をみるにつけても、やはり六根の道をきれいに掃除しておかなければならない。(合気神髄P.44)
- 自分のことを一つ一つするにも、合気は絶えず宇宙の妙精を吸収し、もの悉く同化して大霊に帰納する。技は動作の上に気に練り気によって生まれる。その気が全身にめぐり各器官たる全六根を浄め、天授の使命を完うする。また魂をその中におこし、磨き妙なる技を出し、又光を出し光となって、その光を地場として、魂は大霊に帰納し、技は妙なる技を出し、その道筋は七代の神のごみいず(御働き)のもとに八大力の気のみ働きを起こして、大なるみそぎ道となる。これが昔より我が国において数百億年前、無の極よりの過現未の歴史地理の大科学の気の成長の生命として錬磨するのである。(武産合気P104)
- 真の武とは、宇宙の完成に向かって導くものである。宇宙の魂の緒の糸筋を浄めて、気の世界・気・流体、柔体・固体の世界というように、各層をすべて浄めるみそぎのわざである。(武産合気p.89)
<魂とは>
- 合気道は無限の力を体得することです。魄の世界は有形であります。ものの霊を魄といいますが、これは気力といいます。合気は魂の力です。これを修業しなければなりません。
- 武産合気とは、自己の魂が、身心によって科学されて出てくるものである。(武産合気 P.81)
- この世において、目に見えざる火水が体内に通って、肉に食い入り血肉の血行となっている。これを魂という。(武産合気P.54)
- 宇宙組織のタマの響きが魂である
- 魂、それは造り主の分け御霊(みたま)である
- 魂は自分自身で創るのであります
- いつも我々は気を通して魂を磨く
- 自分の身の内、すなわち魂のことである
- この肉体は黄金の釜であります。霊魂をつくり直すことができるのです。
- 顕幽神というのは、つまり顕界は、この世の世界、また幽界は仏教の世界、神界は魂の世界。
- 目に見えざる火水が体内に通って、肉に食い入り血肉の血行となっている。これを魂という
- 「三千世界一度に開く梅の花」で、そして各々の魂も年々新しく蘇ってくる。(合気神髄 p.134)
- 武産の武の阿吽の呼吸の理念力で魂の技を生み出す道を歩まなくてはならない。(同上)
- 自分の息をこう吸ったら、自分の魂が入ってくる。引く息は自由(合気真髄P100)
- 自在の気なる魂によって魄を動かす
<魂で何をしようとしているのか>
- 一挙一動ことごとく水火の仕組みである。いまや全大宇宙は水火の凝結せるものである。みな水火の動きで生成化々大金剛力をいただいて水火の仕組みとなっている。水火結んで息陰陽に結ぶ。みな生成化育の道である。稽古は中心に立つ空気を媒体として己の魂より結んで稽古をする。いまや天運循環している。稽古は水火の仕組みで練る、習うている。伊邪那岐、伊邪那美二柱の神つまり天の道を行う。統一が一番大切である。それは梅の花。これを十分研究しなければならない。吐く息はエイ―と、円。(合気神髄 P.141)
- 我が国の法典たる古事記と天下水地の天造之神算木にかけ行いて、千坐の置坐に置足らわし、つくしつつ、満涸の球をつかいたてまつることを与えられるに至るのであります。この満涸の玉はみな自己の使命の上に、人のつとめの上に与えられております。人もまたこの満涸の玉により生命を保っていくのであります。(武産合気 P.75)
霊界をこの魂に写しとって、この営みの気を武産合気として、現わすことが必要であります。古事記の営みの実行で神習っていかなければなりません。(合気神髄P.65)
<魂で何がどう変わるのか。何が出来るのか>
- 私の合気道は、八百万神がことごとく協力して和合していく道なのです。(合気神髄P.50)
この植芝の合気は、大猿田ヒコとなって、これから進む道案内であります。地上の禊、祓いです。そして私のうしろから偉い方々が進んでくるのです。これには天照大御神との間に、何か黙約があるのです。(武産合気 P.18)
- この合気だけは小さい神さまじゃない。世界中の天津、国津の八百万の神々に、ことごとくご協力いただいております。顕幽神三界も、また我々の稽古の腹中に胎蔵しております。
自分の心の立て直しができて、和合の精神ができたならば、みな顕幽神三界に和合、ことごとく八百万の神、こぞってきたって協力するはずになっております。
神とは天にもあり、地にもあり、また自分の中にもある。そして時としては自分も神となり、世のためにつくさなければいけない。(合気神髄P.58)
- 合気道で宇宙の魂を磨く者は、この源をよく究めて、宇宙の真理にかない、宇宙の御心にかなうように、万有愛護の心をもって、世の中の生きとし、生けるものに喜びを与えるように接しなければならない。このことは、やがて己に宇宙の喜びの大声に迎えられる日がくることなのである。(合気神髄 P.114)
- 剣をもって立つ時ばかりでなく、常に生きる死ぬの執着を絶ち、神様におまかせの心でなければならない。(合気新聞 P.116)
- 一日もはやく武神の御心にかない奉り、大愛護の心をもって、六合万界、そして生きとし生きるものの喜びの大声に迎えられる日を楽しみに、武神の御子たる務めを全うするようにみなに願うものである。(合気神髄P.143)
- この植芝の合気は、大猿田ヒコとなって、これから進む道案内であります。地上の禊、祓いです。そして私のうしろから偉い方々が進んでくるのです。これには天照大御神との間に、何か黙約があるのです。(武産合気 P.18)
- 心を磨いて、本当に六根の働きをば融通の変えやすいように、つまりいう魂の道を明らかにしておいたらよい。そうすると六根は光となって、表にあらわれてくる。六根が光を放ってくるというと、やることがみな魂の比礼振りということになってくる。己が物を生みだすようになる。外からのことも、内からのことも相交流していけることになる。外のことは、みな己れのことということが、はっきり分かってくる。(合気神髄 P.45)
- 「武は古より本来、本性における魄の上に造り主の魂を現わし、三界を和合愛育するためのもの」(合気神髄 P.90)
- 宇宙にはいくつもの現われがあるが、それと同じに人間も、宇宙の愛の御働きのいろいろによって、そのまま行いに現わすものでなければならない。宇宙万生の現われの根元は魂の現われであり、愛の現われである。その根元の最も純粋な現われは合気道である。宇宙、全人類を大きく和し、一体となすべき本来の道である。(合気神髄P.43)
- 魂の力をもって自己を整え、神を表に出して神代を整え、祭政一致の本義に則ることである。(合気神髄p149)
- 宇宙万生の愛の御働きの根源は魂の現われであり、愛の現われである。その根元の最も純粋な現れの一つに合気道がある。宇宙、全人類を大きく和と統一に結び、一体となす本来の道である。(合気神髄P.43)
- 宇宙の生成化育への大道を歩もうとする者は、己の心身統一をはかり、宇宙の魂を磨いて顕幽神三界を守り、天地和合の大道である合気道を律し、宇宙の真理の律法を明らかにしなければいけない。真実の「和」を達するには宇宙の真理に反しないことが肝要である。(合気神髄p.113)
<魂が目指すモノ>
- 合気は宇宙組織の魂のひびきを神習うての発動である。すべて宇宙の魂のひびきで合気を実践し、無限の力を生み出していかなくてはならない。宇宙組織の魂のひびきは、すべて宇宙に学び、宇宙の中心に帰一し、宇宙と同化していかなくてはならない。そして宇宙とともに進むのである。このようにして自己の体内に宇宙組織を、正しく造りあげていくのである。(武産合気p37)
真の合気道の目標は、地上天国建設であるから、そのためには、魂の世界をつくらなければならないということが明瞭になったわけである。
しかし、魂に関する教えが多い。如何に魂が重要であるかという証である。この『魂への道』の頁数は6ページに亘ってしまい、これまで最長の論文になってしまった。研究の結果、長くなってしまったが、この教えを今後一つずつ解明していくことにする。毎回、ここに取り上げた教えで強い興味が湧いたものをかくつもりである。故に、ここに書かれた文章(教え)は、この段階ではまだよく分からず、羅列しただけであるが、いずれ解明していきたいと思っているしだいである。
Sasaki Aikido Institute © 2006-
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