【第818回】 魄の稽古から脱出のために
若い後輩たちと相対で技を掛け合って稽古をしていると、昔の自分もこうだったなあと思い返される。一生懸命に真面目に技を掛けてくるが、手足を元気よく使うものの、力は伝わってこないし、技にならので、仕方がないから自分で受け身をとって、転がるのである。自分も先輩達にはお手数をお掛けしたなとお詫びすると同時に、これを後輩たちにお返ししようと思っている。
しかし、先輩も胸を貸してくれ、受け身を取って倒れてはくれたものの、どこが悪いのか、どうすればいいのかまでは教えてくれなかった。
それから半世紀ほど経つことになるが、ようやく合気道の事が少し分かりかけて来た。過っての技づかい、体づかいのどこが悪かったのか、どうすべきだったかなどが見えてきたのである。そして若い後輩のどこが悪くて、どうするのがいいのかも分かってきたわけである。
その一つは、やるべき事があり、やってはいけない事があるということである。これは稽古のスタート次元における基本中の基本であると考える。
やるべき事などというが、それが何故、やるべきことなのかというと、合気道の稽古の最終次元の“魂の学び”のために必須であると思われるし、それにつながっていると自覚するからである。
われわれ高段者と稽古をする若い後輩たちは、既に合気道の体ができ、そして基本技を身につけているはずなので、これが前提となる。従って、相対稽古で技を掛け合う稽古ができるわけであるが、先述のように、技づかいや体づかいが下手いわけである。稽古年数や年期が違うから当然だというだろうが、それだけの問題で片づける問題ではないと思う。また、やってはいけないことをそのまま続ければ、やればやるほど合気道の目標からどんどん乖離し、道に外れていく事になるから、やはりこの次元でもやるべき事をやらないからだと思うのである。やるべき事はそう難しくも複雑な事でもないと思う。実際、やるべき事を教えれば、誰でもそれまで出来なかった事が出来るようになるのである。
私が思う、この次元でのやるべき事、やってはいけない事は:
<体の篇>
- 先ずは、相手とひとつになること。相手との合気、一体化である。相手と一体化することによって、相手は自分の一部、つまり分身となるから、こちらの思うように動いてくれるわけである。二つに別れたままでは、こちらの希望通りに相手は動いてくれないはずである。
手を出して相手に掴ませる際も、相手が打ってくる手を捌く際も、相手と一つになるようにしなければならない。これが出来ているか、どのくらいで来ているかは、諸手取呼吸法でやってみるといい。
- 手と腹を結び、腹で手をつかうこと。初心者や後輩の多くは、手を無暗に動かして使っている。だから、力も出ないし、引力も働かず、相手を導く事ができない。手から先に動かさないことである。
- 手と足を陰陽につかう。足は左右左・・・と規則正しく陰陽でつかうことである。手も足と同じ側が動くから、同じ側の手と足が同時に共同で陰陽に動くことになる。これが分かり易く、これを最も身につけやすい技(形)は、正面打ち入身投げであろう。
<息の篇>
- イクムスビの息づかいで技と体をつかう。イーと息を吐き、クーで息を引き、ムーで息を吐いて収めるのである。日常生活では、力を入れる際は息を吐くので、このイクムスビの息づかいは修練がいる。一寸、初心者には難しいが、この息づかいができないと、魄の稽古からの脱出などできないはずである。また、このイクムスビの息づかいができないと、次の阿吽の呼吸、そして布斗麻邇御霊の運化に進めないと思う。
- イクムスビの息づかいで体をつくる。初心者だけでなく、多くの稽古人達の手は、名刀のように真っすぐではなく、少し歪んだり、弛んでいるようなので、それを名刀のように真っすぐにしなければならないが、それをイクムスビの息づかいでやるのである。手をイーと息を吐いて伸ばし、クーで息を引いてその手を更に伸ばし、そしてムーと息を吐きながら更に更に伸ばすのである。
最低でも先ずはこれをやればいいと考える。それまでの稽古が変わり、合気道の稽古をしているという実感が持てるはずである。
この基本中の基本が身に着けば、次のやるべき基本に移ることになろう。縦から横への十字。腹⇒足⇒手の順で体をつかう。陰陽十字等などである。
そうなれば、合気道の技が宇宙の法則に則ており、体も宇宙の営みに従っていることを自覚するようになり、合気道の稽古が更に面白くなるだろう。
Sasaki Aikido Institute © 2006-
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