【第791回】 アオウエイのエイ

布斗麻邇御霊の形をアオウエイで技にしている。これまでと異なる異質・異次元の稽古になり難しいが、真の合気道をしていると感じ、これまでにないやりがい、張り合いがある。
前回は布斗麻邇御霊の天之御中主神の御霊とアーを主に研究してみた。この御霊は天地の創成と営みの形であるが、その前からある大宇宙の創成と営みと結ばなければならない事が分かったし、この最初の言葉のアが五十連の総名で重要なことを確認した。
高皇産霊神・神皇産霊神の御霊のオーと伊邪那岐神の御霊・伊邪那美神の御霊・伊予の二名島のウーは、他の箇所で研究した。余り深くはできなかったので、その内に再度研究してみたいと思う。

今回はアオウエイの後ろのエイを研究してみたいと思う。エーは筑紫島、イーは大八島國である。
エイは一般的に、剣を切り下ろしたり、相手を投げたり極める時に発する、なじみ深い、身近な掛け声である。
この御霊の形を見ると、エーもイーも引く息である。これまでのアオウの吐く息から引く息に変わったのである。勿論、布斗麻邇御霊の形に従ってアオウエイで技(体と息)をつかえば天地との一体化を感じるし、いい技いい力も生まれて気持ちがいい。大先生が、「フトマニ古事記によって、技を生み出していかなければなりません。」(武産合気p.77)と教えておられるのがよく解る。

しかし、このエイに対して大先生は、「吐く息はエイーと、円」(合気神髄 P.141)とも云われておられるのである。技の最後の収めのエイは、四角く息を引くのか、または円く吐いて収めるのかということである。

字面では矛盾するわけだが、両方ともに正しいはずである。つまり表現は違っていても中身は正しく、同じであると考える。何故ならが、布斗麻邇御霊も大先生の言葉も共に宇宙の条理であり、宇宙の法則に則っているはずだからである。もし、布斗麻邇御霊、フトマニ古事記を信じる事が出来なかったり、大先生の言葉・教えが信じられなければ、合気道を続ける意味はなくなってしまうだろう。
従って、布斗麻邇御霊と大先生の言葉の字面ではなく、その見えないところを見ればいいと考える。
エイを大先生の教えのように円い吐く息でやっても上手くいくし、やはり気持ちがいい。また、先述のように、布斗麻邇御霊の四角の引く息でも同じである。

それでは大先生が「吐く息はエイーと、円」云われた意味を考えてみたいと思う。円とは○で吐く息である。
大先生は、魄を土台にし、魂を上にしなければならない、また、魂魄の正しく整った天の浮橋の上に立った十字の姿でなければならないと云われている。
これを現わした図が、である(武産合気P98)。の中にである。
エーで引く息の筑紫島の御霊に天の気(天之御中主神の御霊)
合わせて、イーで大八島國で収めるが、この中にもが入っていることになる。はこれらの図には見えないが、息を引くしかくの中の━、|、/、\で息を吐いたり吸ったりするので、○も□もあることになると考える。

技と体をつかってイーで大八島國で収めることも出来るし、を載せて収める事も出来る。どちらも天の浮橋に立つ感じにはなる。
つまり、布斗麻邇御霊のとなり、大先生の吐く息となると考える。
技をこれでやると上手くいくし、剣を切り下ろす場合もこの引く息と吐く息でやれば陰陽表裏一体の力がでるようだ。因みに、の引く息だけや、の吐く息だけでやれば伸びのないこわばった力になってしまうようだ。
また、一教や坐技呼吸法の最後の押えはこれでやらないと、返される危険性がある。また、ウナギ掴みもこの気のつかい方であると思う。

まだまだ不完全だが、この稽古を続けて行けば更なる発見があるだろう。