【第772回】 フトマニ古事記 その2

前回述べたように、今回からは『大本言霊学』から、布斗麻邇御霊(フトマニノミタマ)を研究してみることにする。この布斗麻邇御霊は山口志道の布斗麻邇御霊とほぼ同じである。

布斗麻邇御霊は7つの図像からなり、これで宇宙の創造、天地の生成、人の形成を顕すと言われる。更に、万有万物の産みだしと完成はこの布斗麻邇御霊に則ることになるから、合気道の技もこの布斗麻邇御霊に合してつかわなければならない事になるのである。大先生は、いつも合気道は宇宙の営みにしたがわなければならないし、宇宙の法則に則らなければならないと言われていたが、この布斗麻邇御霊こそがそれであると考える。それ故、この7つの図像は重要であり、大事な意味があるはずであるはずなので、一つ一つ研究していきたいと思う。が、難解なのではじめはさらっと表面的なものになるだろう。

今回は最初のである。「天之御中主神御霊である。“此の形は布斗麻邇御霊より割別たる水火の形なり、是をもて天地の気を知ることを得”である。
『大本言霊学』には、「古事記曰く天地初発之時於高天原成神御名天之御中主神云々」にある神である。この御霊の真中にあるヽ(シルシ)は天地未生のヽ(キ)なり。・・・其の言義(ココロ)は天地の初虚空の正中にヽ(シルシ)の気(イキ)と云御名にて則ち○(アメ)の正中のヽ(シルシ)をなして其御形是の如し則ち天之御中主の御霊なり」「萬物この御霊より発するなり」と、天之御中主神御霊を説明している。

これを合気道ではどのように教えておられるかというと、
「天もなく、その一番初めが「三千世界一度に開く梅の花」ということで世の発し兆しをいうのである。それでいちいち昔から世を組織するためには、大虚空をつくる。ちょうど、朝の曙みたいなものである。造り主の御姿が現れる折りに、本当に曙のように大太陽がそこに現れる。」(合気神髄 p.134)
となる。

これを合気道の技をつかうに際して、どのように考え、つかえばいいかということになるだろう。合気道では物事を技に現わすことが出来てこそ、それが分かったということになるからである。
私の解釈と技づかいは次の通りである。 これらの事を大先生は、次の様にも教えておられる。「自分の中心を知らなければなりません。自分の中心、大虚空の中心、中心は虚空にあるのであり、自分で描いていき、丸を描く。丸はすべてのものを生み出す力をもっています。全部は丸によって生み出てくるのであります。きりりっと回るからできるのです。---何時でも円を描きだし、ものを生みだしていかなければならないのです。」(合気神髄p154)

大先生は、「合気道は、自分が天之浮橋に立つ折は、天之御中主神になることである。」(武産合気P.101)と言われておられるのである。
 確かに、技をつかう際に天之御中主神にならないと上手くいかないものである。後で分かってくるが、天之御中主神にならないと、次の高皇産霊神、神皇産霊神、そして伊佐那岐・伊佐那美神が働けないのである。つまり、体が布斗麻邇御霊で動けないし、技にならないのである。何事も初めが肝心なのである。