【第761回】 頭の働きは両手にまかす

合気道は技を練って精進していく。技が上達していけば上手になっており、精進していることになる。精進するためには稽古をしなければならない。しかし稽古をしていることが精進にはならない。稽古は精進のための必要条件ではあるが、十分条件とはならない。精進のための必要十分条件は、精進するように稽古をすることである。難しいようでもあるが、贅沢を云わなければ容易でもあると思う。

精進するように稽古をすることは難しそうであるが、その精進の仕方は合気道の教えにある。合気道を創られた開祖が教えておられる。それは『武産合気』『合気神髄』を熟読すればそれが分かってくる。
その教えの中に、技を上達させるため、合気道を精進するためには、例えば、神習いをしなければならないと教えておられる。やるべき法則があるのである。これを宇宙の法則と言い、技と体は宇宙の法則に合してつかわなければならないのである。法則は宇宙規模の数があるから、それを一つ一つ見つけ、会得していくことになる。これが精進するための稽古である。だから、法則に則らない、神習いになっていない稽古をしても精進しないことになる。例えば、その最も目につきやすく、初心者でやるのが多いのが、手と足をめちゃくちゃ、無法則でつかうことである。これは誰でも初心者の時にやるようだから、誰もが経験することになるが、大事な事はこの手と足をめちゃくちゃ、無法則でつかう事の非に気づき、そして法則に則り、神習いでやるように変えていくことである。

先述の如く、この問題に対してもその解決法の教えが合気道にはある。それは、「「からだ」は五臓五体といって造り主に神習い、足は高御産巣日、神産巣日となって、つまり霊系の祖と体系の祖に神習い、三位一体である。気はちょうど、三角法になっている。そして頭の働きは両手にまかす。これが伊邪那岐、伊邪那美の大神様の気を受け、神習うていかなければならない。そこで「からだ」は五臓五体、造り主に神習う。また足は、胴の動きは両足に持っていかなければならない。これが高御産巣日の霊的な祖、これが体的な祖に結んでいかなければならない。」(合気神髄P146)である。
この教えで、まず「頭の働きは両手にまかす」とある。これは、手は頭の働きによって動き、頭の働きが手に現われる、現わすということだろう。また、頭と両手は結んでいなければならないということでもある。
働く頭とは天之御中主神であり、両手が伊邪那岐、伊邪那美となる。合気道では、自分が天之浮橋に立つ折は、天之御中主神になるからである。
これで頭(天之御中主神)と両手(伊邪那岐、伊邪那美)は三位一体になる。
技を掛けたり、剣などの得物をつかう際は、この三位一体で、頭を働かせて手をつかわなければならないことになる。

また、足は胴の動きである。「胴の動きは両足に持っていかなければならない」のである。また、「足は高御産巣日、神産巣日となって三位一体である」から、天之御中主神と高御産巣日、神産巣日の三位一体となるはずである。胴が天之御中主神、足が高御産巣日、神産巣日であるから、まず、胴が働き、そして足がその働きを引き受けることになる。従って、よく初心者に見られる、胴より足が先に働く(動く)のは神習い、法則違反となるわけである。

因みに、「「からだ」は五臓五体といって造り主に神習い」とあるが、五臓とは、①肝臓、心臓、脾臓、肺臓、肝臓の五つの内臓 ②全身のからだ。五体とは、①身体の五つの部分:頭、両手、両足 ②上記のこの五つの部分から成る体。全身。である。この五臓五体のからだは造り主によって創られ、その造り主のように働くから、そのようにつかわなければならないということであろう。これを神習う、法則に合するというのだと考える。