【第758回】 大中小の禊ぎ

合気道は禊ぎであると言われる。
禊ぎとは、一般的に、罪や穢れを落とし自らを清らかにすることを目的とした行為であり、不浄を取り除く行為であると言われる。
合気道を始めてから長い間、武道として稽古している合気道が禊ぎであるということが理解できなかった。
しかし、稽古を積み重ねていくに従い、稽古によって汗をかき、体の老廃物が排出され、筋肉や関節のカスも除去されるので、合気道は確かに禊ぎであると思うようになった。

だが更に大先生は「合気道は全部みそぎになっているのです。大中小のみそぎであります」(武産合気P.60)と云われているのである。これが意味することは、一つは、合気道はすべてが禊ぎであるということ、つまり、合気道の技づかい、体づかいがすべて禊ぎでなければならないということである。
二つ目は、合気道の禊ぎには大中小があるということである。この大中小の禊ぎには深い意味があるようなので、ここではこれを研究してみたいと思う。

大中小の禊ぎには、まず、自分が何かしら関わったりお世話になっている“天地、宇宙“の大の禊ぎ、”人類、社会”の中の禊ぎ、“己自ら”の小の禊ぎがあると考える。
そしてもう一つ、己自らの小の禊ぎにも大中小の禊ぎがあるはずである。体全体の大の禊ぎ、各五体の中の禊ぎ、そして各五体を構成する部位の小の禊ぎである。
恐らくこの大中小の禊ぎの解釈は大先生が意図されるものとは違うかも知れないが、己の稽古で実感したことなので敢えて書くことにした。
今回特にその実感したのは、小の禊である。

宇宙の法則・条理に則って技と体をつかうように心がけていくと、いい技が生まれ、体も自然で、無理なく、理に合って気持ちよく働いてくれる。そしてこれが禊ぎになっていると感じるのである。これを大先生は、「呼吸し、息吹きして真空の気を吸い、大地の気、森羅万象の気を性と技とにむすびつけて、錬磨し技を生み出して錬磨してできる技が、天地の理に沿うみそぎ」(武産合気P.66)と云われている。
初めは体と技を陰陽十字で、足を右左と陰陽、そしてそれに合わせて腹を十字々に返していたが、これが体の大の禊ぎだったと思う。
次に、例えば、手を腰腹に結び、肩を貫き、陰陽十字に返すと技が効き、手の働きに違和感がなくなるが、これが体の中の禊ぎだろう。
更に、手先を45度と90度に返し、そして親指を支点として手の平を返すと技が上手く掛かるが、これはこの手の部位の働きであり、小の禊ぎだと実感する。勿論、更なる小の禊ぎはあるはずである。例えば、心臓や肺などの器官、血液、細胞等である。

しかし大事な事は、「合気道は全部みそぎになっている」ということであるから、体の全部を大中小に関わらずつかうことである。体のどの部位も遊ばせないことである。遊ばせればそこが禊ぎにならないわけであり、合気道ではなくなるということになるからである。