【第741回】 天の気に結ぶ

「第730回 武技は日月の息と地の息と合わして生む」でも書いたように、技は天の息と地の息を合わせて生み出さなければならない。天の息とは日月の吐く息であり、地の息は潮の満干の引く息である。腕力や体力の魄の力に頼らない力をつかうためにはこの息づかいで体と技をつかわなければならないのである。
天から息を吐きながら地に落し、そして今度は息を息引きながら相手を導くのである。それまでにない威力と相手を同調させる不思議な力が出てくる。

しかし、ある程度この天地の呼吸で技をつかっていると、まだ不完全で何かが欠けていることに気がつくのである。それは天の呼吸を始める“前“が無いことであり、”前“が欠けているということである。只、天から息を吐いて地に息や力(体重)や気を下ろしているので、何か空回りしているようなのである。

そこで天の息で息を吐く“前”に、己を天に結びつけるのである。天と一体になったところで、息を吐きながら天の息をするのである。天と一体となって天の呼吸をしているという雄大な感覚を持つようになるのである。これに比べると、その前の天の呼吸はこせこせした人間の動きであったように思える。

天の息で、息を吐く“前”に、己を天に結びつけることは正しいし、必須である事が分かった。何故ならば、大先生は、「天の気によって天の呼吸と地の呼吸を合わせて技を生み出す」と云われていたのである。己を天に結びつけるのは、己と天との気結びということになり、天の気と結ぶ事によって、天の呼吸、そして地の呼吸ができるようになるということなのである。

それで天と己を気結びするにはどうすればいいかということになる。ただ思っただけでも、力んでも己の気は天と結ばない。
私がやった方法は簡単である。一度、腹をちょっと締めて緩めればいい。腹を締めて緩めると気が外に向かって発散するから、上に向かう気を頭から天に出すのである。己の気が天と結び、そして己の頭が天と一体化すると感得するのである。そして頭は軽くなり、自由となる。これを大先生のご友人だった白光会の五井昌久先生は、「天とは人間の奥深い内部であり、神我(天の私、真の私、自由自在な心、慈愛、大調和)とは内奥の無我の光そのもの」(武産合気 P.12)と云われたのだと思う。

天の気によって天の呼吸と地の呼吸を合わせて技を生み出さなければならないが、天の気は天と己を結び、そして天と一体化させてくれる働きがあるようである。
天の気の錬磨をしなければならないだろう。