【第720回】 合気道の時間
合気道では時間に関して、後で紹介するような不思議な話を聞いているので、時間に関してはずっと興味を持ち続けてきた。
最近、『時間は存在しない』(カルロ・ロヴェッリ著が出版され、世界中で評判になっているようだが、私も新聞広告で見て、興味を持ち、購入して読んだ。
結論から云わしてもらえば、時間に関してはまだまだ分からない事だらけだということである。勿論、これまで分からなかった事や気がつかなかった事など新たな発見はあったし、これまでの常識と考えられていることを否定したりしている。例えば、「今はない」であり「時間は存在しない」である。
ロヴェッリ博士は時間についていろいろな理論を展開するが、その内、合気道に関係のありそうなものをピックアップして、合気道と関連づけて考えてみたいと思う。
- 「何も変わらなければ、時間は流れない。時間は変化を計測したものであって、何も変化しなければ、時間は存在しない」
合気道では、相対稽古で二人が動き始めるまでは時間は止まっていることであり、時間の変化は相対する速度ということになるだろう。
- 「この世界は物ではなく、出来事の集まりなのである」
合気道では、物の体だけでは時間は生まれず、体と技の動きによって時間が生まれるということだろう。
- 「この世界の変化が包括的な順序に従って生じているわけではないという事実だ」
合気道の開祖や開祖の師匠であった、武田惣角先生などは、過去が見えたり、未来も見えていたようで、過去、現在、未来の順序にだけ従ってはおられなかった。
また、アインシュタイン博士が時間について次の様に言っているという。
- 「運動している物体は時間の流れが遅くなる」
合気道では、速い技をつかって動いていれば、時間が止まっているかと思うような感覚を持つ。例えば、若くて元気な頃の真夏の暑い日に気を許さずに、動きも止めず、技を掛け、受け身を取り合っていたが、もう2,3分は過ぎただろうと時計をちらっとみるのだが一分も過ぎていなかったのである。この時計は一分ごとに針が進むものだったので、一分も動いていなかったことになる。逆に、のんびり稽古をしていれば、時間が進むのが早いし、稽古時間の終わるのも早いはずである。
- 「強い重力を受ける程、時間の流れは遅くなる」「重力も時間を遅らせる原因」
合気道では、重い相手と稽古をしたり、重い力で抑えられ続ければ時間の流れは急に遅くなり、早く時間よ過ぎてくれ、早く流れてくれと思うものである。
次に“時間”の定義を辞書で調べてみると次の様になるようである。
“時間”は、出来事や変化を認識するための基礎的な概念である。それぞれの分野で異なった定義がなされる。(Wikipedia)
また、「時間」という言葉は、一般的には、「時の流れのある一瞬の時刻」、あるいは、「ある時刻とある時刻の間の長さ」の意味で使われているが、次のような時間があるという:
- 心と体に流れる時間(体内時計)
- 宗教や哲学における時間観の変化
- ニュートンのどこでも均一に進む「絶対時間」
- アインシュタインの伸び縮みする「相対時間」
- 宇宙と時間の関わり
これらから時間にはいろいろあるし、時間の定義もそれぞれの分野によって異なっているということであるから、それでは合気道分野の時間はどうなるかということになる。
合気道の時間は速度であると定義づけたいと思う。
合気道の開祖である植芝盛平大先生は、合気道修業の上で勝速日(かつはやひ)を体感感得しなければならないと言われているが、大先生はこの勝速日を「時間を超越した速さ」と定義されているのである。つまり、“時間は速さ(速度)であるということになるわけである。
実際、合気道の技の稽古に於いては“時間”という言葉はない。使うとしたら、稽古時間が何時から何時までとか、一時間の稽古時間などである。
合気道の時間を超越した速さの勝速日についてである。この論文の初めに書いた“不思議な話”である。
一つ目は、大先生は過って鉄砲の弾が見え、向かってくる弾を避けられたということである。それも一度ではなく、何度か行われたというから、偶然ではない。更に興味があるのは、ある猟師と一緒になり、その猟師の撃つ弾を避ける事ができるかと聞かれると、一寸の間をおいて、その猟師の弾は避ける事ができないと答えられたというのである。ということは、撃つ人の技量や人間性によって鉄砲の弾は避けられたり避けられないということ、そして勝速日が生じたり生じなかったりするということであろう。
二つ目は、過って本部道場の内弟子や先輩たちは外でよく喧嘩をして腕を磨いていたようだ。そしてその当人から直接、または又聞きで、我々後進にその模様を話してくれたものだ。そしてその喧嘩の話しで不思議に思い、また興味を持ったのが、喧嘩の際、相手の動きがスローモーションのようにゆっくりに見えたということであった。これは喧嘩をした複数の先輩方が言っていたので、事実であり信じていいだろう。
これも勝速日になった目でみると、相手の動きの速さは遅く見えるという事だろう。また、速さ(速度)は、上記の時間の定義から、自分と相手との相対的な関係で決まるという事にもなるだろう。
また、合気道の勝速日は、時間もない空間もない、宇宙そのままがあるだけを云い、時間も空間も無くなってしまうのである。
合気道における時間には過去―現在―未来があるが、これは「宇宙生命の変化の道筋で、すべて自己の体内にある」と教えられている。
また、空間には顕幽神三界があり、己の体内に胎蔵しているという。
これらの時間も空間も無くし、宇宙と一体化することが合気道の修業の目標であるが、これが出来れば勝速日が生まれるということだろう。
そうなれば、鉄砲の弾が見えるし、避けることが出来、相手の動きもスローモーションで見えるということになるのだろう。
この勝速日が生まれる目標に、時間を超越した速さの動きや技はつかえるようになるのは容易ではないはずであるが、一歩一歩それに近づいていかなければならないだろうから、次の様な事から始めている。
- 技を掛ける際は、まずは天の浮橋に立つようにしている。稽古相手や宇宙とを結ぶことによって時間・速度の感覚が日常のものとは異質になる
- 技は阿吽の呼吸で掛ける。これで時間(合気道の速さ)の感覚が変わり、相手の動きはスローモーションに見えるし、己の動きは電光石火となるようである。
大先生はこれを、「我々は正勝、吾勝、勝速日の精神をもって、天の運化を腹中に胎蔵して宇宙と同化、そして宇宙の内外の魂を育成して、かつ五体のひびきをもってすべて清浄に融通無碍の緒結びをして、宇宙世界の一元の本と、人の一元の本を知り、同根の意義を究めて、宇宙の中心と正勝、吾勝、勝速日を誤またず、武産の武の阿吽の呼吸の理念力で魂の技を生み出す道を歩まなくてはならない。」と言われているのだと思う。
これまでの合気道における時間をまとめてみたわけであるが、まだまだ勝速日や電光石火には程遠い。これを土台にして更なる研究をし、合気道の究極の時間である勝速日に近づいて行きたいと思っている。
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