【第687回】 大先生の思い出(後編)
『第686回大先生の思い出』から続く:
- 武道の達人を彷彿させる思い出がある。大先生が道場の入り口にある洗面台を通ってトイレに行かれるを見たら、我々若い稽古人の誰かが、大先生がトイレをお出になり、手を洗われたら手拭きをお渡しするようにしていた。ある時、私が手拭きを持って待機していたのだが、大先生は中々トイレからお出にならないのである。トイレで異変があるようではないので変だなと思って、一瞬どうしたのか考えてみた。もしかすると殺気でも感じておられるのかもしれないと考えてみた。今までくんずほぐれずで稽古を目いっぱいしていたわけだから、気が出ていたのだろう。そこで、私はそんな者ではありませんと示すため、咳ばらいを軽く2度ばかりしてみた。すると大先生はすぐに出て来られたのである。こんな咳払いをする奴かと安心されたのだろう。それにしても大先生の武道家としての用心深さや超人的な感覚には驚かされた。
尚、これに似た話がある。本人から聞いた話である。ご本人は内弟子時代の千葉先生である。大先生がトイレに入られた時、出て来られたら木刀で打とうと待ち構えていたのだが、大先生はなかなか出て来られなかったのである。千葉先生は、これは気づかれたかと、部屋に戻り知らん顔をしていたというのである。大先生は常日頃から、内弟子たちに隙があったらいつでも打ってこいといわれていたという。
- 大先生は血を嫌った。道場に擦りむいた膝や足から出た血を畳についているのを見つけられると、直ぐに拭き取らせ、塩で浄めさせた。当時は座り技が多かったので、血が畳によくついたが、大先生に見られないように丁寧に拭き取っていた。
- われわれ若い連中で、岩間に合宿に行くことにした。大先生は東京に居られたが、この中の女性連中から岩間の合宿の件を聞いたようで、わしも岩間に帰ると言われた。そして2泊三日の合宿でご指導頂いたのである。
大先生は女性には優しく、女性には決して叱らなかった。だから道場で激怒されて部屋に戻られた大先生のところに、機嫌を直して頂くためにと仲間の女性を行かせた。ご機嫌が直るとその女性は道場に戻って来てそれを報告したり、時には大先生がニコニコして一緒に来られたこともあった。
それ故、大先生が激怒されたときの頼みは女性の仲間達だった。
岩間の稽古でも大先生に二回叱られた。
一つは、二人掛けの四方投げで大先生の受けを取った際、団子状態になって受けにならず、そんな受けでは駄目だと、きつく叱られたことである。
二つ目は、いい雰囲気で大先生の稽古が終わって大先生は隣の自室に戻られた。私と先輩の二人で大先生に稽古の御礼を言いに伺うと、ちょっと風邪気味なので休むといわれた。前の稽古の雰囲気が良かったし、我々の仲間も自主稽古でもう少しおさらいをしたかったので、大先生にその旨を言うと、今までにこやかだった大先生が烈火の如く怒りだし、気分がすぐれないといっているのに、何事か言われたのである。確かに我々のミスであったし、大先生の我々に対するいい教えであったと感謝している。もしも、あそこで稽古をすることを許してしまえば、我々は大先生の言葉と気持ちを無視し軽視することになったはずである。
大先生と奥様の仲睦まじさが分かるような出来事が稽古中にあった。稽古で大先生が技を示されている時、受けが大先生の袴に足を引っ掛けて袴の裾の縫い目をビリッと破いてしまったのである。すると大先生は受けを叱らずに、ちょっと顔を赤らめて「また、内のばあさんに怒られる」と言われたのである。
稽古が終わって愛宕山に登ることになった。道場から小一時間なので、ぶらぶら歩いて行くことにした。行こうと準備をしていると、大先生もわしも行くと言われた。しかし、大先生はタクシーで来られる。山頂の茶店でお会いすることにして出発した。大先生が何度も登られた急こう配の階段をのぼった時は感無量だった。
大先生がタクシーで来らたので、神社をお参りして写真を撮った。(写真)
茶店(ちゃみせ)があったので一休みする。大先生は我々の飲食いしたものを払って下さるといって財布を出すと、高額紙幣しかないことに気がつかれる。奥様が渡して下さった財布を無造作に持って来られたのだろう。大先生のお金の無頓着さと奥様に頼っておられることがよく分かった。大先生にはお気持ちだけ頂いて、我々が支払った。
最後の晩は、我々が料理をして大先生をご招待した。会場は道場。奥様とご一緒にお出で下さった。大先生は油ものは駄目だと言われ、天ぷらは召し上がらなかったが、奥様共々楽しいひと時を過ごさせて頂いた。
- 大先生とお会いした最後は、私がドイツに行くとき先輩に伴われてご挨拶した時である。大先生からは、「頑張ってきなさい」というお言葉を頂いたが、その翌年に昇天されたので、それが最後となってしまったのである。
大先生にお会いできたことに感謝である。叱られたことを含め、合気道だけではなく、人として生きるために多くの大切な事を教えて頂いた。
もし、大先生にお会いしていなければ、合気道を修業することもなかったろうし、人生も全然違っただろう。また、自分が持っていた課題、死ぬまでには解決したいと思っていた「人は何処から来て、何処へ行くのか、己は何者なのか」等が解決できなかっただろう。
完
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