【第680回】 一教が極意技の理由を考える

以前から言って来たように、一教は合気道の極意技であると思っている。大先生も先生方も誰も、一教が合気道の極意技などと言われていないから、これは私の独善ということになるが信じている。
何故、一教を極意技と言うかというと、前からいってきたことは、一教は最初に教わる技であること。そして入門者に一番やりやすい技であること。しかし、技を錬磨してくると、一教が最も難しい技だと分かってくる事、そして最も悩まされる技であることである。

最近、更に一教が極意技と考えた理由を考えたので、それをまとめてみる。

一教、とりわけ正面打ち一教は、基本の法則の塊であると見る。大事な基本法則が入っており、その法則に合してやらないといい技の一教、とりわけ正面打ち一教にならないということである。
具体的にどんな法則かというと、

この他これまで言ってきている法則、例えば、○体の表をつかう ○腰腹からの力をつかう ○腹、足、手の順に体をつかう ○体より前に息で技をつかう ○息→腹、足、手の順につかって技をかける等である。

このような法則がある一教、取り分け正面打ち一教を身につける事は容易ではないが、一教が出来る程度に他の技もつかえるようになるようである。これも正面打ち一教は極意技である所以であると云っていいだろう。
また、合気道の技は剣の動きと関係があるわけだから、正面打ち一教が上手くできるようになれば、剣もつかえるようになるようである。やはり一教は極意技なのである。