『合気道技法』で植芝吉祥丸先生は、「合気道の動きは剣の理合であるともいわれているほど、その動きは剣理に則している。故に徒手における合気道の手は、剣そのものであり、常に手刀状に動作している。」(合気道技法 P.44)と云われている。
合気道の動きは剣の理合いであるから、合気道での技の錬磨では、剣の理合いで動かなければならないことになる。
ここで吉祥丸先生は、その剣の理合いの例として、手は剣のように動かさなければならないと云われている。
その意味を解釈すると、まず、指先から肩までの手を剣としてつかうことである。折れ曲がった剣にならないように、手も真っすぐにつかわなければならない。
次に、剣に刃と峰があるように、手にも刃と峰をつくり、刃で切るように手を動かさなければならない。手の刃は尺骨側であり、峰は橈骨側である。
正面打ちや横面打ちで受ける場合も、四方投げや呼吸法などで手を取らせる場合も、手の刃の動きで技を掛けていかなければならない等ということであると考える。
また吉祥丸先生は、「剣の道に経験のある人が合気道の動きを見ると、必ず剣の動きと同一である、と言われる。なるほど、合気道のどの技をとりあげてみても、剣の理法との一致点を見出すことができる。・・・合気道の技の半分は刀剣を使用しての技であることを知っておくべきである。」(合気道技法 P.252)とも云われている。
これまでは、例えば、技を効かすための拍子は剣の拍子であると書いてきた。二教裏、特に、交差取り二教などその典型だろう。
しかし、最近、剣の理法をつかうと、今まで上手くいかなかった動きが円滑にいくことがわかってきた。逆に云うと、この剣の理法をつかわないと難しいか、不可能であると考える。