【第648回】  バラバラにやって来た事をひとつに

合気道を始めてから半世紀以上経っている。あまりやらないが、昔を振り返ってみると、いろいろな事があり、稽古もいろいろやって来たと思う。言ってみれば、やりたい事はやりたいように、出来る程度にやって来たと思う。
私の当時からの信念は、やりたい事、やるべきと自分が思った事はやることである。もしそれをやらなければ、後で必ずそれをやらなかった事を後悔することを分かっていたからである。勿論、やったからと言って、成功したり、いい結果に終わるとは限らないので、後悔することもある。しかし、失敗の後悔など、やっておけばよかったなとか、やるべきだったという後悔とくれば雲泥の差である。

旧本部道場の稽古は、初心者も上級者も一緒に稽古をしており、入門すれば、すぐ皆んなと一緒に稽古を始めることになったわけである。だから誰かがその入門者の面倒を見なければならないので、次の教える人が来るまでの10分、15分は、自分の稽古をせずに、その新人の面倒を見ることになる。私も入門した時も先輩にお世話になったし、2,3年もすると新人を教えたものだ。先輩たちの教え方を、稽古をしながらちらちら見ていたので、そのように教えていた。勿論、入門してすぐに、一教とか入身投げなどできるわけがないので、誰でもできるような、入身転換法、一教運動、後ろ受身などで体を動かせてした。入門者が手取り足取りされる稽古は一回だけで、二日目からは他の稽古人達と一緒に通常の稽古に入っていったのである。
何も知らない人に教えることは難しいので、これは非常に勉強になった。後でドイツの合気道道場をつくり、何も知らない生徒たちを教えるのに役立った。(話が横道にそれてしまった)

今回書こうとしているテーマからどんどん離れてきてしまったので話を戻す。旧本部道場での稽古のことまで戻すことにする。
当時の旧本部道場では、ほぼ現在の一般稽古の時間帯で稽古が行なわれていたが、教えられている先生方は、大先生を筆頭に、植芝吉祥丸師範、大澤喜三郎師範、藤平光一師範、斉藤守弘師範、多田宏師範、山口清吾師範、そして有川定輝師範と蒼々たる先生方が教えておられた。恐らくこのように豪華な先生を揃えた武道道場は当時も今も皆無であろう。当時、そのことを知ってか知らずか、道場に行き、稽古をするのが楽しくて、日曜日を含む毎日、一日2時間以上稽古をしたものである。稽古時間と稽古時間の間の休みの時間も、先輩に道場を使わずに開けておくのはもったいないし、道場に失礼だといわれ、休み時間も、先輩に投げてもらったり、技を掛けて貰ったり、また、同輩同士で技を掛け合ったり、受けを取り合ったりしたものだ。

旧本部道場で教えられておられた先生方は、想像つくだろうが、非常に個性的な性格であり、技も先生同士で正反対かと思われるようなものであった。
しかし、どの先生の時間の稽古にもでている、われわれ若い稽古人たちは、その先生の稽古時間には、その先生のやり方、技のつかい方でやるように努めていた。つまり、少しでもその先生に近づくべく、要は真似していたわけである。その稽古時間が終わった後の休み時間には、前の時間にやった先生の真似をし合っていた。技が上手い先輩は、先生方の真似もうまかった。例えば入身投げで、この先生のこう、あの先生のはこうと、実に上手かった。習い事は、真似る事から始まるというが、確かにそうだと思った。
しかし、或る時、その先輩が大先生の真似、相手に触れないで倒す真似をしているところを、偶然、大先生にみつかってしまし、大目玉を食らってしまったのである。この教訓は、真似だけでは、底も幅もなく駄目で、もっと基本をしっかりやりなさいということのお叱りであったようだ。この後は、先生方の真似のショーは終焉し、各自の技の中でやっていくことになる。

その後も、仲間同士の力比べや技比べが続いていく。何とか相手を投げようとか、決めようと研究したり、力の付く稽古をするようになるわけである。自分の好きな技で、力をつけ、技を効かすようにするのである。私の場合は、二教裏で手首を鍛え、諸手取呼吸法で腕を鍛え、四方投げで相手を投げる快感を味わっていたようである。そのためには、手先指先まで気を通した手首、肘で折れ曲がらない腕、手先と腰腹が結んで切れない手をつくらなければならないことになる。

それまでは先生や先輩に教わった通りに体をつかい、技をつかっていたわけであるが、この辺から自分で考え、研究して技と体をつかわなければならないと思うようになる。勿論、間違いもある。いいものも悪いモノもある。それがどんどん稽古年数と共に積み重なってくる。
徒手だけでなく、剣や杖も振り回した。それが合気道でどのように役立つのかなど分からなかったが、ただやりたかったからやった。手裏剣、居合も馬針や模擬刀と本を買って稽古した。

それでは、積み重なったもので満杯になったり、悪いモノで満ち溢れたりして、更なる稽古に進まないのではないかと心配を持つかもしれない。が、心配ご無用である。何故ならば、人間の心体にはいいモノは残り、不味いモノや不必要なモノは浄化されて消されていく働きがあるようだからである。

ここまでは若い頃の稽古と言えるだろう。特徴は、人から教わることと、教わるにしても、自分でやってみるにしても、一つ一つがバラバラで、お互いの繋がり、それと何か肝心なモノとのつながりが不完全であることである。
これでは合気道の稽古は不完全ということである。
しかし、多くの稽古人は長年の稽古にも関わらず、この状態にあって抜け出せずに悩んでいるように思える。

それではここからどうすればいいかというと、これまでバラバラにやってきたことを一つにつなげ、まとめていくことだと考える。字数も多くなってしまったので、一つの例でそれを簡単に説明する。
例えば、二教裏である。誰でも二教裏を稽古するだろう。そして相手の力に耐えられるように頑張ったり、相手の頑張る手首を極めるべく、何度も繰り返し力を込めて練習したはずである。受ける手首は強くなり、指先は太くなり、攻める手首もそれと結ぶ腹も強靭になる。
ここまでが若さの稽古段階、魄に頼った、そしてまだ部分的なバラバラの稽古の段階である。この稽古を続けても必ず壁にぶつかり、場合によっては体を痛めるはずである。

そして、この後の“一つにする”段階の稽古である。若い稽古、魄の稽古から、老練な(理想的な)稽古、魂の稽古の段階に入っていくわけだが、この魂の稽古の段階の直前に、魄から魂への中間の稽古に入るはずである。陰陽十字などの宇宙の法則に則った稽古とイクムスビや阿吽の呼吸の息づかいの稽古の段階に入るのである。

若い稽古、魄の稽古で培った二教の技と体を、今度は陰陽十字、イクムスビや阿吽の呼吸とひとつとしてやるのである。全然次元が違った技になる。技の効き目だけでなく、受けを取った相手の反応も全然違うのである。
ついでにもうひとつ“一つ”になった事を上げる。それは剣である。只振り回していた剣が、阿吽の呼吸と合わせることによって、全然次元が違ったモノになるのである。

“一つにする”段階の稽古とは、魄の稽古をやっていた若い頃に得た技と動きと力を、今度は宇宙の法則・営みと天地の息に合わせ、宇宙と一つになるように稽古をしていくことだろうと考える。