70歳を過ぎた頃からそれまでのように頭が働かなくなってくるのを自覚するようになった。頭はすっきりしなくなり、なんとなく重苦しく、また、頭を激しく動かしたり、揺さぶったり出来なくなり、前受身が取れなくなった。このような状態にあった頭をなだめながら10年ばかり稽古をし、生活してきたわけである。稽古を続けて来られた理由の一つは、年を取れば若い頃のように完全な健康などあるわけがなく、必ずどこかに故障があり、その故障のもとで稽古をしなければならない事を自覚していたからである。
あっという間に10年過ぎたようだが、有難いことにこの重苦しかった頭が最近元気を取り戻したのである。同じような問題を抱え、何とかしたいと奮闘している合気道家もいるはずなので、その体験と解決法を書き置くことにする。
4月29日、茨城県岩間市で恒例の合気大祭があり、参拝させて頂いた。その後、合気神社から近くの愛宕山に若くて元気な稽古仲間と登った。彼は愛宕山に登るのははじめてなので案内したわけだが、コロナでこの大祭が中止されていたり、天気の関係などで10年近く上っていなかったし、ましてや上述の頭のふらつきの問題があり、登れるかどうか不安があった。が、彼との約束もあるので“後は野となれ山となれ“で登った。2時間ほどの登りだったが、汗だくはいうに及ばず、以前の数倍の距離感と労力を費やしたように感じた。頂上へつく最後の箇所に大先生が修業につかわれた急階段が立ちふさがっているわけだが、何とかなるだろうと、最後の力を振り絞って登り切った。久々の達成感である。山頂の見晴らし台では、びっしょりかいた汗が気持ちいい風に渇いていき、筋肉の疲れも癒されていった。
下山は合気道のナンバの歩き、天地の息づかいを研究しながら、多少余裕をもって下山することができた。そして下山すると下半身はずっしり重くなったが、頭が軽くなっていたのである。これまでの頭の重苦しさがなくなり、以前のようなすっきりした頭になったのである。
そこで頭は鍛えることができるという結論に至ったわけである。
頭を鍛えて、頭が正常に機能するようになったわけであるが、そう結論づけるには、それまでに身につけたものがあったからだと考える。
それは、まず、頭は身体の一部だから身体である事に間違いない。また、頭を重苦しくするのはその中の脳の仕業であるはずである。そしてこの脳も身体であるということである。つまり、「脳と身体」は明瞭に分離できないのである。
脳も頭も身体であるから鍛えることができるわけである。そしてこの山登りで脳と頭が鍛えられ正常に戻ったという事なのである。
これを信じる事ができれば、合気道の稽古に於いても脳・頭を鍛えることができるはずである。
更に、最近では頭をもっと上手くつかわなければならないと稽古をしている。
例えば、頭を柔らかくつかう事である。力の籠った頭に気を入れて頭を柔らかくし、そしてこの柔らかくした頭で技をつかうのである。顔の前に手が来るようにし、頭で技を掛けるのである。
脳・頭を鍛えるために一般的には、ヨガや瞑想法などがやられているようだが、身体と同じように物理的、肉体的に鍛えるのがいいようである。
私たちの脳は一定の発達を遂げたあとは、脳細胞は徐々に減り、萎縮していき、脳の体積も減っていって、機能も低下してくると言われているようで、こうした加齢による脳の変化は避けられない事実であるが、脳の機能はいくつになっても高められることが近年分かってきたという。
山登りや合気道で脳・頭を鍛えるのがいいだろう。