【第950回】 手はしっかり開いて結ぶ

気で技を掛けるべく稽古をしている。気が産まれるよう、気で技と体がつかえるようにしているわけである。
最近、分かった事は、手を更に上手くつかえば気が出るし、気が働いてくれることである。
それは、手をしっかり開き、しっかり結ぶことである。これまでもそうやっていたつもりであるが、十分ではなかったということである。つまり、これまでは手が十分開き切っておらず、伸びきっていなかったということになるわけである。

気は体、魄を十分つかいきり、魄力を出し切ると生まれるようだ。手先や手・腕が萎えていては気は出ない。特に、手先は開き切り、伸びきらなければならない。相手が打ってきたり、掴んでくる場合はしっかり開かなければならない。正面打ちや横面打ちが上手くいかない原因は手を開き切っていない事にあるといっていいだろう。
また、抑え技で決める場合は、手をしっかり結ばなければならい。握り込むことである。結んで開いての結ぶであり、つまり絞り込むのである。しっかり結ばないと、相手と一体とならず、相手を反抗させることになるので技にもならない。
二教裏、四方投げ、四方投げからの呼吸投げが上手くいくためには手をしっかり結ばなければならない。初心者の手の結びは甘いのでこれらの技が上手くいかないのである。
過って、初心者の頃、二教の裏を稽古しているとき、ある先輩に、「相手の手首から水が出てくるように絞り込め」と教わったことを思い出す。押しつけたり、圧し掛かったり、引っ張り込んだりするのではなく、己の手を絞り込む、つまりしっかりと結ぶことが大事だということだったのである。

しかし、自分で分かるはずだが、手をしっかり開き、結ぶのは容易ではない。自分では開いて結んでいるつもりでも、外から見ていると手先、指先、手の平は十分開き切り、伸びきっていないし、結んでもいないのである。更に、まだ開き切っていない、伸びきっていないと聞いて直そうとし、更に開こうとするが残念ながら、開き切らない状態のままで前のままである。つまり、手を開き切る、伸ばし切るというのは容易ではないという事である。通常は、気がついて、それを意識してやればできるものだが、手を開き切る、伸ばし切るは意識してやってもできないのである。このように直そうとしてもすぐには出来ない事は間々ある。例えば、肩を貫く事である。貫かなければならないとはわかっているが中々貫けないものなのである。

結ぶのも同じである。しっかり結んだつもりでも不十分なのである。手をしっかり結ぶ、握るわけだが、握った指と手のうちに隙間がないようにならなければならない。隙間があると拳が当たった際に怪我すると教わった。しかし隙間がない拳をつくるのも容易ではない。隙間がない拳をつくるためには指先の3つの関節が鋭角(90度以内)になるようにしなければならないのである。特に、指の最初の関節が鋭角にならないのである。
ある時、有川先生に拳をつくってみろと言われてつくって出すと、最初の関節が鈍角で、ここも鋭角にならなければならないと、そこを先生の親指と人差し指で締め付けられ、悲鳴を上げた事がある。有川先生の集中力は先輩方から凄いと聞いていたが想像以上だったことを思い出す。

それではどうすればいいかということになる。鍛錬するしかない。肩を貫くための鍛錬法(十字)を記したように、鍛錬して少しずつ直していくことである。
先ずは、相対で技を練る際、手をしっかり開き、結ぶようにすることである。
次に、自主稽古で鍛える事である。開いて結んでを気を入れてやるのである。更に、手を開くを、思い切り開いたら、腹中の気で更に開き、更に更に開くを繰り返せばいい。
手を結ぶのも、手を開くと同じようにすればいい。意識して真剣にやれば少しずつ良くなっていくはずである。