【第861回】 脇の下と耳の下

真の合気道の技を産むべく研究している。今は、体が捻じれたり、よじれないよう、体幹、両の手が一つになって働くように研究している。これまでは体が捻じれたり、よじれないように体幹と技をつかうことができるようにしていたが、まだ十分に両の手が体幹としっかり結びつかず、結びが切れてしまったり、手だけが動いてしまっていた。
体幹が一つになって動くためには、体を捻じったり、よじらないことである。体幹は十字々々なつかわなければならないが、捩じったり、よじるのではなく、腹を返すのである。つまり、体幹を腹から返すのである。これを肩や胸などで返そうとすると捻じれやよじれになるのである。
体幹は面として動くようにしなければならないわけである。

さて、体幹は一つの面で動くようになったわけだが、今度はこの体幹と左右の両手が一緒に結び、働くようにしなければならないことになる。
まずは意識して一緒に?げてつかうのだが、どうしても体幹と手の結びが途中で切れてしまうのである。
試行錯誤しながらどうすればいいのかを研究していると、またしても助け船が現われた。予想もしていなかった事であり、偶然であり、摩訶不思議である。このような事を人は神の助けとか神の仕業というのだろうと思った。

部屋の掃除をしながら、NHKの日曜美術館というテレビ番組をちらちら見ると、日本のダンサー、振付家、演出家である勅使川原三郎(てしがわら さぶろう)さんが出演しており、彼の独特の踊りとその思想やポイントなどを披露していた。彼の踊りは世界中で評価されており、他のダンサーには出来ないような踊りであるとあるが、合気道の目で見ると魂の踊りであると思った。意識ではなく、無意識で宇宙の運化と一体化した動き、宇宙の意志、つまり魂の踊りということである。
合気道もこの魂の技を目指しているわけである。勿論、彼の踊りの魂と合気道の魂は共通する部分、重なる部分はあるものの、異なる部分もある。合気道は武道であり、彼の踊りは踊り(ダンス)である。異なる部分によって武道と踊り(ダンス)に分かれるわけである。
つまり、大事な事、言いたい事は、共通部分から学ぶべき事、学ぶ事が出来ることは学べということである。この共通部分こそが宇宙の運化であり、法則に則った地域や人種や時代を超越した、時空を超えた宇宙ものであると考える。これを合気道家もこのダンサーも追及しているはずであると思う。

勅使川原さんが何気なく言われた事に耳が吸い寄せられ、掃除の手を止めて聞くことになる。それは、上手く体をつかう、上手く踊るためには体の見えない部分を大事にするということである。その見えない部分とは、足の裏と脇の下と耳の下であるという。
そこで早速、脇の下と耳の下を意識して体をつかい、技をつかってみると体幹と左右の手がしっかり結び、体が一つに働く事が実感できたのである。
合気道で重要な仙骨とそして脇の下と耳の下を結び、体幹を十字々々に返していくのである。正面打ち一教でも片手取り呼吸法でもこれでやれば体が一体で動けるようになったのである。
足の裏は既に腹(体幹)の十字の返しでつかっていたので、この度は、脇の下と耳の下に重点を置いた次第である。