【第850回】 呼吸と息

前回「第849回 息から気へ」で、息で技をかけ、息を気にかえ、そしてその気が息を微妙にかえるということを書いた。それまでの肉体的な力、魄の力で技をつかうよりもいい技、異質の技が出ることは確かなことが感得されたのである。
息はこのような素晴らしい働きがあることが分かったわけであるが、まだ解らない事がある。それは呼吸との違いである。息と呼吸は同じようだが、違いがあるはずだということである。大先生は、『武産合気』『合気神髄』でも、息と呼吸という言葉をつかわれているが、注意して見ると、合気道に於いては息と呼吸には大きな違いと同時に関連性があるように思えるので、それを研究してみたいと思う。

まず、一般的な呼吸と息の定義と違いは、“「呼吸」は気体を吸ったり吐いたりすることだけ。「息」は気体を吸ったり吐いたりすること。そしてその気体。これが「呼吸」と「息」の決定的な違いです。”とある。つまり、呼吸は動作であり、息は動作と気体(物体)を指しているのである。

フトマニ古事記の布斗麻邇御霊とアオウエイの言霊で技をつかっていくと、この息の気体(物体)が息であり、気であると感得する。合気道では息には吐く息と引く息があり、吐く息は○米、引く息は□米となる。この吐く息の○と引く息の□は動作の呼吸であると考える。そして○の中の米と□の中の米が息であり、息の動作と気という気体(物体)であると感得する。これを気息というのだろう。息で技をつかって行くうちに息が気に変わって行くと感得したのはこの事だとわかる。

この□米の気によって技が生み出されるわけであるが、そのためにはその気が呼吸を微妙に変化させると、大先生は、「気の妙用は、呼吸を微妙に変化さす生親(いくおや)である。これが武(愛)の本源である。気の妙用によって、身心を統一して、合気道を行じると、呼吸の微妙な変化は、これによって得られ、業が自由自在にでる。」(合気神髄 P.85)と教えておられる。
合気道では息と呼吸が関連し合って働いているということである。

人の呼吸も息も複雑微妙であるが、天地の呼吸と息も複雑微妙繊細であるようだ。この天地の呼吸、天地の息に合わせて技を生み出していかなければならないのである。それを、「天の呼吸は日月のであり、天のと地のと合わして武技を生むのです。地の呼吸は潮の干満で、満干は天地の呼吸の交流によって息をするのであります。天の呼吸により地も呼吸するのであります。」(武産合気p.76)という。天の呼吸と息に合わせて人も息をし、呼吸をしなければならないということだろう。

呼吸と息はまだ十分に分かっていないが、これを土台にして、更に研究していきたいと思っている。