【第849回】 息から気へ

魄の稽古から魂の稽古に変えようと、四苦八苦しているわけだが、これまでのところ、肉体主動の魄の技づかいを息で肉体をつかう、息主動の稽古をかえればいいということにたどり着いたわけである。息で肉体を誘導し技をつかうということである。これまでの魄の稽古にくらべると質の違う、より魂の稽古の次元に近づいたように感得できるので、この息づかいへの転換は間違いないと確信している。
勿論、大先生も「合気はある意味で、剣を使うかわりに自分の息の誠をもって悪魔を払い消すのである。」(合気神髄P.13)と教えておられるわけだから間違いない。

息で体を導き技をつかうように技と体を練ってきたわけだが、息で技をつかうのには限界があると感じるようになってきた。はじめはイクムスビの息づかいで技をつかっていたが、ここでは問題がなく出来ていたが、布斗麻邇御霊とアオウエイの言霊での息づかいになると、息が切れ、そして動きが切れてしまうのである。後でわかるのだが、イクムスビの息づかいは魄の次元の息づかいであり、魄の技をつかう際には問題がないということだと考える。

息が切れると思いながらも、布斗麻邇御霊とアオウエイの言霊で技をつかっていると、息が気に変わってくることを感じるようになってきたのである。
息が切れる処が気が補っているのである。そして気が息を補い、息を導いたりと、気が息を誘導、変化さすようになったのである。
布斗麻邇御霊とアオウエイの言霊を息ではなく、気でやると技はこれまで以上に自由に出るようになるようである。

これを大先生は気の妙用といわれ、気は呼吸を微妙に変化させるもとであると次のように言われている。
「気の妙用は、呼吸を微妙に変化さす生親(いくおや)である。これが武(愛)の本源である。気の妙用によって、身心を統一して、合気道を行じると、呼吸の微妙な変化は、これによって得られ、業が自由自在にでる。この呼吸の変化は、宇宙に気結び、生結び、そして緒結びされる。」(合気神髄 P.85)

これまでの息で技をつかうから、気で息をつかい、技をつかうということになる。これができてくれば、技(業)が自由に出て来るし、宇宙とも結ぶ事ができるということであるから楽しみである。