【第802回】 光る肉体

これまで「合気道の体をつくる」に関する論文を801編書いてきたわけだが、ここで一度立ち止まって、この論文をこれからどうすべきなのかを考えてみたいと思う。
まず、これまでの論文はどうだったかということである。テーマは、「合気道の体をつくる」であるが、この体をつくるとは、主に“技”をつかうための体をつくる事であったと思う。これからもこの為の体をつくっていく必要はあるので、技を上手くつかうための体づくりの為にも書いていくつもりである。しかし、これからはこの先を行かなければならないと思っている。それは“魂の世界の合気道”のための体づくりでなければならないと考えている。難しいと思うが挑戦したいと思う。

その手始めに、今回のテーマは「光る肉体」である。これは魂の世界をつくるのに必要であると言われるからである。大先生は、「魂の世界を作るのである。土台(六根)を光に浄め、魂を表に魄を土台にして現わしてゆかねばなりません。」(武産合気P.107)と教えておられるのである。
魄の土台の六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意であるから、これら六根、つまり、体が光るようにならなければならないということである。
確かに、入門当時は大先生をはじめ、先生方や先輩方の体(六根)は光っていたと記憶する。光は強靭さや威圧になったり、包容であったり、引きつける引力であったり、優しさの愛であったようで、強烈だった印象がある。その光のせいだろう、大先生がちらっと姿を現されるとすぐに気がついたものである。(逆に、もし、大先生に気づくのが少しでも遅れると、大先生は“年寄りを大事にしない”と、大変なご立腹だった。大先生の光が見えなかった事に対するご立腹だったのではなかったかと拝察する。)

それでは体が光るためにはどうすればいいのかということになるが、それも大先生は教えておられる。
「気体・流体・柔体・固体と四つに分ける。四つの全身各機関に対して、四つの気魂のひれぶりが必要である。この気体の気でも、大神のみ姿に神習うて人一人の姿の各部の気の稽古をして、表裏のない魂の実在のひれぶり、その霊のひびきを明らかにし、速やかに実在のもとに現してゆくまで、気の稽古をすべきである。気の稽古は至誠の信仰であり祈りであります。」
これを簡単に言えば、体の部位の気体・流体(血液など)・柔体(肉など)・固体(骨など)に、大神のみ姿である布斗麻邇御霊の運化に従って気を流し、合気道の技や動きがその営みに合致するまで稽古をすればいいということだと考える。

更に、気と流体の血流が淨まると、肉体が立派な生きたすき通った光の肉体となり、これを創りあげなければならない。次に固体であるが、つまり骨も髄まで立派な土台として創り上げてゆかねばならないという。

大先生は、「この宇宙の霊、体に同化し、そして和合の光のこの修行をすることを合気道と今、名づけているのであります」と言われておられ、体が霊と同化すれば、光る体になるし、それを修業するのが合気道であると教えておられると思う。

また、大先生は、「技は五体のひびきと宇宙のひびきと気結び、緒結びし、千変万化するのであるけれど、我々は五体のひびきから光と熱と力を生じさせるような稽古をしなくてはいけない」と言われ、五体のひびきが宇宙のひびきと結べば、光を生じさせることができるといわれているのである。

光る肉体にならなければならないし、なれば、魂の学びの稽古の次元に入っていけるということである。