【第780回】 魄の上に魂がくるために

合気道は魂の学びであるから、技をつかい、技を練るのは腕力や体力などの魄の力ではなく、心や精神の魂をつかってやらなければならないことになる。尚、この心や精神の魂とは、宇宙の心と精神であり、それは己の心、真心、であると考える。
これまで魄の力に頼って技を練ってきたのを、内的神(心、真心)である魂で技をつかわなければならないと、大先生は、「今迄は魄が表に現れていたが、内的神の働きが体を造化器官として、その上に禊を行うのです。」(武産合気P.88)と教えておられるのである。

さて、これまでの魄が表に出た働きでは駄目で、魂で働かなければならないということである。魂が働くためには、魂が魄の上、表に出なければならないことになるわけだが、どうすれば魄の上に魂がくるようになるのかということになる。大先生は、それに関して次の事も言われているので、これも参考にしたいと思う。「合気道は、魂の学びである、魂魄阿吽の呼吸である。」「合気道は魂の学びであります。ちょうど丸に十を書いて三角が四つ寄っております。」

魂を魄の上にくるように稽古をしているが、これまで次の事が分かってきた。
一つ、技を掛ける手先に腹の力、つまり体重が掛かるようにする事である。そのまま力を出しても魄の力になってしまうのである。これは日常、通常の力であり、うんうんと力んで息を吐いて、気持ち(心)が下になり、魄の腹の力がその上に残っている、魂が下で魄が上の状態である。これが魄力である。
この魂と魄の状態を返えなければならないのである。
そのためには先ず、腹の力の魄を下に落さなければならない。腹を上から下に落とすのである。手先に腹(体重)を載せるのである。この状態が、体の魄が土台になることである。
この土台ができると、この上に気が流れ、魂が載り、この魂で己の体(魄)と相手の魂魄を制し、導くことができるようになるのである。諸手取呼吸法は、これでやらないと上手くいかないはずである。

二つ、しかし、腹の力の魄を下に落すのはコツがいる。そのコツとは阿吽の呼吸をつかわなければならないことである。先述の大先生が言われる「合気道は、魂の学びである、魂魄阿吽の呼吸である。」とわれる阿吽の呼吸である。恐らく、阿吽の呼吸以外の息づかいではこれは出来ないと思う。

三つ、この阿吽の呼吸をつかい、そして布斗麻邇御霊の七つの営みで息と体をつかわなければならないことである。特に、最初の天之御中主神御霊で魄(腹の力)を下に返すのは難しいし、また、ここが一番大事だと思うので阿吽の呼吸の修練が必要になる。
更に、大事な御霊は伊予の二名島であろう。大先生が上記で云われている、「合気道は魂の学びであります。ちょうど丸に十を書いて三角が四つ寄っております。」と関係すると思う。ここから一霊四魂の四魂が生まれるわけである。
つまり、この十字からも気と魂が横から縦と動き、魄(腹の力、体の力)が下に返る。
更に、で息を縦に吐き切ると、息が自然と引く息に返って筑紫島となるが、これも腹を不思議なほどスムーズに下に返すことになる。

そして最後に、で引いた息が返って吐く息となる。その吐く息に収める時は、完全に魄(腹)が下になり、魂(心)が上になる。に収まって大八島國になるわけである。

このように阿吽の呼吸で布斗麻邇御霊を実行していけば、魄の上に魂がくるようになるから、後はその魂を磨き育てればいいはずである。これが魂の学びの合気道であろうと考えている。