【第745回】 体は理でつくる

身体、肉体の体はがむしゃらに鍛えても出来ない。若くて元気なうちは元気に暴れ回っていれば筋肉がつき、骨格もしっかりした頑強な体ができる。この頑強な体もいいが、この体は真の合気道が求めるものではない。この体は魄の力での体であるからである。その証拠に、この魄の力の体は年を取ってくると衰えると同時に、手足などと腰腹胸などの体幹が協調して上手く働かなくなり、体の各部位がばらばらにしか動けなくなるからである。 魄の力での頑強な体は必要だが、それだけではまだ十分ではないということである。 ここまでは好きなように、やり易いように体をつかえばよかったわけであるが、これからは“理”によって体をつくっていかなければならないのである。 大先生は、「武魂を容れるの善美なる肉体は理によってつくりあげるものである」(合気神髄P.21)と教えておられるのである。 「理」とは、合気道で云う「条理」「宇宙の法則」であるから、条理や宇宙の法則に則って体をつくらなければならないという事になる。つまり、理合いの体づくりである。 「理」は既に自然や天地や宇宙に存在している。それを稽古を通して見つけ、つかわせて貰うのである。自分でつくるものではない。「天地の真象を眺めて、そして学んでいく。そして悟ったり、反省したり、学んだりを繰り返していかなければいけない。」のである。 体は理でつくられ、そして理で機能するように出来ているようである。知れば知るほど摩訶不思議であり、感謝感激である。 この理に反した体のつかい方をすれば、体は働いてくれないし、体を痛めることになる。 また、大先生は人体と天地は同じであると、「人の身の内には天地の真理が宿されている」と云われている。人の体は天地がつくられたようにつくればいいということだし、また、天地の営みと同じようにつかわなければならないということである。 例えば、伊邪那岐、伊邪那美の男(陽)と女(陰)、天の浮橋に立って(十字)天沼矛で、渾沌とした大地をかき混ぜた(十字)ところ淤能碁呂島ができたとあるように、天地は陰陽十字で出来たことになり、人の体も陰陽十字でつくることになるし、機能しなければならないことになる。 更に、宇宙の万物はその一霊四魂で構成されているといわれるし、大神の営みの姿は一霊四魂三元八力といわれる。一霊四魂三元八力は宇宙経綸の姿、宇宙経綸の生命であるという。 従って、人の体も宇宙経綸の姿と生命にならって、一霊四魂三元八力で構成され、機能するようにならなければならないということになろう。例えば、三元の剛柔流を備える、八力の引力を有する体である。 天地・宇宙と一体となって体つくるためには、更に天地の気と息に合わせて体をつかい、体をつくることである。 「天と地の気が組み合わされて万物が生まれる」といわれるから、体も力も天と地の気を組み合わせて産めばいい。また、「日月の気と天の呼吸と地の呼吸、潮の干満とこの四つの宝を理解せねばだめなのです」ということだから、この四つの宝を身に付けねばならない事になる。 これらの気と息づかいによって確かに体も出来てくるものと感得できる。とりわけ最近それを感じるのは、「潮の干満」で体をつかえば、腕や足が円く太くなるし、胸が厚く、腹がどっしりし、体ができてくることである。 体は理でつくるようにしなければならない。今までやって来たことを振りかえなければならないから難しい。しかし、大先生の教えに従わなければならない。