前回に続き、「魂の技」がテーマであるが、重点は魂の技を生み出すにはどうすればいいのかを研究してみることである。
最近、これが魂の技ではないかと思える技が一寸出るようになったような気がする。片手取り呼吸法で、相手を自由自在に制し、導き、そして相手が自ら気持ちよく倒れるような技づかいである。
これが出来るようになったのは、大先生の次の教えであった。
「魂が魄の上になり、魄が土台になって魂で導く」である。しっかりした手を相手に掴ませ、その接点を土台にしてそこは動かさずに、魂(たましい)で己の体と相手を動かし、導くのである。
はじめは「魂」ではなく「心」でやっていたが、魂(たましい)でやるようにしている。
魂(たましい)で技をつかうためには、宇宙の条理に則って、体と心をつかわなければならない。体と心が宇宙の営みに合すれば魂の技が生まれるのである。これを大先生は、「自己の魂が、身心によって科学されて出てくるものである。(武産合気 P.81)」と言われているのである。因みに“科学されて”とは、宇宙の法則に則るということだろう。
魂の技になったようではあるが、まだまだ十分な力ではなく、強大な腕力の相手を制する自信はない。まだ、魂の力が弱いということだろう。魂の力が弱いという事は、この魂の次元が低いということである。
上記の大先生の教えの中に“自己の魂”とあるように、魂にはいろいろある。大先生がつかわれている魂には、どのようなものがあるかを『武産合気』『合気神髄』から抜き出してみると、
*己の魂、自己の魂、自分の魂
*五体の魂
*円の魂
*大和の魂
*全大地球の魂(イザナミの大神)
*宇宙の魂、宇宙組織の魂、宇宙の内外の魂
等がある。これから、魂には己の魂から宇宙の魂まで、低次元の魂から高次元の魂があることがわかる。自己の魂から、宇宙の魂へ進展していかなければならないということである。大先生は、「魂は自分自身で創るのであります」と言われるのはこのことを指しておられると思う。
大先生は、どうすれば技を生み出すことができるかを教えておられる。そして魂の技を生み出すにはどうするかも教えておられる。30前後の教えがあるようだが、その内自分が挑戦している幾つかを記す。