【第720回】 腰腹の陰陽十字々々

魄の体を土台にして、その上に魂の念で技をつかう稽古に専念しているが、新たな問題も出てくる。これまで気がつかなかったことに気づくわけだが、これまで何となくやっていたことの重要さに気がつくのである。
それは、魄の体を土台にして技をつかうということは、己の体の重さの体重が相手との接点に掛かるという事であるから、相手と接触する己のすべての部位に体重がかかるようにならなければならないことになる。つまり、己の手先、指先まで己の体重が掛かるという事である。腕や肩や胴体で体重を掛けるのはそれほど難しくないが、手先、指先に掛けるのは難しいはずである。
正面打ち一教や横面打ちが難しいのはこれがその理由の一つになる。

手先、指先に体重が掛かるようにするためには、次のような要件を満たさなければならないと考える。只、手先、指先を突っ張って体重を載せようとしても体重はのらないし、技にはつかえないのである。

要件、
<その1>は、天の浮橋に立つ事である:
技をつかう際は先ずは天の浮橋に立たなければならないと大先生は教えておられるのだからそうしなければならないが、天の浮橋に立てば顕界との別の次元のものを感じる事が出来るようになるはずである。天地との合気、身体の解放感等々である。そして手先、指先に重さも感じるのである。

<その2>は、手先、指先と腰腹を結び、その結びが切れないようにつかう事である:
手先、指先から腰腹へ、また腰腹から手先、指先へ気の交流をさせるのである。それによって手先、指先に腰腹を感じることになる。
手先、指先と腰腹を結びが切れても、1cmずれても手先、指先に体重を感じることも、体重を集めることはできなくなるはずである。

<その3>は、阿吽の呼吸で体をつかう事:
手を上げるにも、掴ませた手で相手を導くのも阿吽の呼吸でやらなければならない。阿吽の呼吸は陰陽であり、八力の呼吸である。一般的な吐いたり、吸ったりする一面的な呼吸ではなく、吐きながら吸い、吸いながら吐く陰陽兼ね備えた呼吸なのである。また、この阿吽の呼吸で体をつかうと、動、静、解、疑、強、弱、合、分の八力が生まれる。
更に、手を振り上げる際は、天に引っ張られる力と地に引っ張られる力が働くから、正面打ち一教で相手の打ってくる手を上に上げると同時に、己の体重をこの地の引力にのせて相手に掛ける事ができるわけである。要は、阿吽の呼吸をつかわないと、手先、指先に体重を掛けるのは難しいということである。

<その4>は、腰腹を陰陽十字々々でつかう事:
<その3>である程度まで手先、指先に体重が掛かり、ほどほどに技はつかえるが、相手に腕力があったり、遠慮なく打ち込んだり掴んでくると手こずるものである。これを解決するのが“腰腹を陰陽十字々々でつかう事”なのである。これまで相手を向いていた腰腹を左右の足に陰陽、そして十字に返すのである。腹の面が足先に直角になるように返すのである。左右陰陽で、十字十字に返して技と体をつかうのである。
腰腹を十字に返すことによって、手先指先に腰腹の力、つまり体重が掛かるので大きな力が生まれるのである。
抜刀居合はこれでないと切れないと思うし、剣もこの腰腹の陰陽十字でつかうといいはずである。

等である。