【第717回】 余分な線を消していく

合気道が上達、向上するためにはやるべき事をやり、それを積み重ねていかなければならない。只、稽古を続ければ向上するわけではない。稽古を続けることは、向上のための必要条件であるが、十分条件ではないということである。
大先生は合気道が向上するためには次のようにしなければならないと言われているのである。
「私が合気道修行者に望むことは、どういうことかというと、この世界のありさまを終始よく眺め、また人々の話をよくきいて、良きところを自分のものに取り入れ、それを土台に、自分の門をひらいていかなければならない。」(合気神髄 P.164)

合気道は主にそれほど多くない基本の形(技)を繰り返して稽古をしながら向上していく。私のように半世紀以上も稽古をしていると、四方投げや入身投げ等の基本の形を数千回、数万回とやり続けていることになる。
これまでは繰り返しやることで向上するし、向上するためには繰り返すことだと思っていたわけだが、繰り返すことにはもっと大事な意味があることが分かった。

あるTV番組を見ていて、合気道の稽古を繰り返す意味が分かったわけである。
その番組は現代美術作家高橋秀布画伯の事であった。高橋秀布画伯については、「第715回 現代美術作家高橋秀布画伯と合気道」で紹介した。

画伯はある作品のために、まず線を何本も引いていた。

そして言う。「画面の中にほんとの線が占める場所が一か所ある。じゃどこにそういうものがあるんだ。」そして格闘が続く。
一本のあるベき線はどこにあるのか。不必要な線を消していき、最後にあるべき線が残る。
そしてこれが完成品である。

合気道の繰り返しの稽古は、あるべき本当の線(軌跡)をみつけるために、多くの線を描いていることと、そして不必要な線を消していくということになるだろう。
確かにあるべき本当の線(軌跡)は重要であり、この線(軌跡)で技と体をつかわなければいい技にならない。有川定輝先生は、正しい線は一本であり、この線から1cmずれても技は効かないと言われておられた。
有川先生や大先生の技が人を納得させた理由の一つは、無駄な線を消し去り、あるべき本当の線(軌跡)で技と体をつかわれておられたからと思う。因みに、無駄のないことは自然であるわけだが、それは美であり、真であり、善であることになる。だから、人を納得させ、魅了するわけである。

このあるべき本当の線(軌跡)の重要性は、稽古だけでは分からなかったことであり、大先生が上記で言われている“この世界のありさまを終始よく眺め、また人々の話をよくきいて、良きところを自分のものに取り入れ、それを土台に、自分の門をひらいていかなければならない。”のお蔭という事になろう。