【第704回】 魄を土台にしての土台

魂の学びの稽古に入るために、魂を上に魄を土台にして進む稽古を試みている。主に呼吸法でこの稽古をしている。
これまでは呼吸法を魄の腕力でやっていたことが分かるし、腕力では力のある強い相手を制することも、抑えることもできないことが明瞭になった。魄を土台にして、その上にある魂(念、心、精神)で技と体をつかうと、相手はこちらの土台とくっついてしまい、相手を自由に制することができるのである。

しかし、この土台がしっかりしていないと技も体も上手く働かない。働かないのは魂が働かないからである。土台の上の魂が働くためには、土台がしっかりしていることであるが、これは魄がしっかりしているということになる。片手取り呼吸法の場合、?掴ませた手首の先を伸ばし、体重を流す ?掴ませた手首の上部には手先と逆の体重を流す ?相手の掴んでいる手のところに対照力が働き、魄の抗力と気が満ちるから、己の手と相手の手が密着する ?親指を支点として手の平の小指側を返すと、相手が掴んでいる手の内と己の手の平の一か所が必ず接するようにし、その接した箇所に常に己の体重が掛かるようにする。

段々分かってくるのだが、この相手と接した箇所に体重が掛かるようにすることが重要なのである。何故ならば、これが魄の土台になるからである。
体重が掛かるしっかりした土台ができれば、後は魄の抗力が働き、そしてこの上にある魂((念、心、精神)で相手を自由に制することができるようになるからである。つまり、魄の抗力を魂で導くということである。
呼吸法で魂を上に魄を土台にする稽古ができるようになると、四方投げ、入身投げ、天地投げでもできるようになるし、横面打ちでも出来るようになるはずである。

相手と接したところが土台となり、また、土台には常に己の体の重さ(体重)が掛からなければならないのだが、土台はこの相手と接する箇所だけではないようである。何故ならば、相手が無く、己一人の場合にも、魂を上に魄を土台にする土台があるはずである。大先生は、魄を魂に振り返るための自身の立てかえ立てなおしには、その土台が必要であると次の様に言われているのである。「自身の立てかえ立てなおしこそ、二度目の天の岩戸開きという。即ち精神が物質たる肉体をよろこび使って、真の天国天人の苗代であり養成所であり、いわさかであり地祇であり地場の上にひもろぎとなって進まなければならない。」
つまり、この場合の土台を、いわさか、地祇、地場と言われていると思う。いわさか【岩境/磐境】とは、「岩座(いわくら)」に同じで、物質界と精神界、顕界と幽界の境の土台と考える。また、地祇とは地の神ということのようなので、地下と地上の境である土台と考える。土台は魄であり、その上の魂と接し一体化しており、その接点は支点であるから無暗に動かしてはいけないことになる。

土台には、相手と接している箇所のほか、

等々が土台になると考える。一人修業で、また相対稽古でもこれらの土台をしっかり鍛え、大事につかって行かなければならないだろう。
例えば、手の親指の土台がしっかりしていれば、後ろ両手取りは勿論、呼吸法も魂を魄の力に振り返えてできるようになるし、この親指の土台がしっかりしなければ魄の力に頼らざる得なくなる。

また、相対稽古で、相手が掴かむ箇所が土台になるわけだが、相手は何処を掴んで攻撃してもいい故、どこを掴まれても、掴ませた処を土台とし、その下方に魄の力、 上方は魂(気持ち、念)が働くようにしなければならないことになる。