【第435回】 肉体は理によって

合気道は技を錬磨しながら精進していく武道である。相対で技をかけあいながら、少しでもよい技がつかえるようにするのである。

しかし、はじめからよい技はつかえないものだ。技がうまくつかえるためには、まず、一般的な体をつくらなければならない。体をつくるとは、技の錬磨に必要な筋肉をつけ、骨を丈夫にし、内臓を鍛え、また体のカスを取り除くこと、等である。

合気道を始めて数年間は、ただ稽古を続けていくだけで、そのうちに体はできてくるものだ。始めのうちは、特に受け身を取ることによって、体ができてくる。手首は太くなるし、腹筋や背筋がついて、肺や心臓も丈夫になる。受け身を一生懸命にやればやるほど、体はできてくる。

受け身がうまく取れるようになってくると、今度は相手に技をかけて倒すことに、稽古の重点が変わってくる。これも一生懸命にやれば、ある程度のレベルまで進むことはできる。だが、あるところから、前進が止まってしまうものである。やればやるほど変わっていく受け身の時期とは違って、体がそれほど変わらなくなるのである。これも、誰もが体験していることであろう。

相対稽古の相手にかけた技が効くように体をつくりたいのだが、どのようにつくっていけばよいか分からないのが、最大の問題と考える。たいていの場合、筋力をつければよいだろうということで、木刀や鍛錬棒を振ったりする。しかし、それにも限界がある。

合気道は技の錬磨であるが、錬磨している技は宇宙の営みを形にしており、宇宙の条理・法則に則っているといわれる。ということは、宇宙の法則に則った技をつかうためには、技をつかう体が宇宙の法則・条理に則らなければならないだろうし、つかわなければならないということになるはずである。

つまり、体は宇宙の理合いに則ってつくっていかなければならないということになる。開祖はこれを、「武魂を容れるの善美なる肉体は理によって造りあげるものである」といわれているのである。

では、いかなる宇宙の理合いを体に取り入れていかなければならないかというと、例えば、表裏 陰陽 魂魄 十字 一霊四魂三元八力等があるだろう。

表裏:万物には表裏があるが、それが一体化しているのと同じように、人の体にも表裏がある。表裏はそれぞれに働きがあるのだから、間違えないようにしなければならない。例えば、背中側は表で、腹側は裏であるから、表の背中をつかえるようにしなければならない。

陰陽:次に、万有万物には陰陽があるが、陰は陽に変わり、陽は陰に変わる、を規則的に繰り返す。そのため、体も陰陽に規則的に変わるようにしなければならないし、そのように遣わなければならない。うまり、技をつかうにあたっては、手足も陰陽に規則正しくつかわなければならない。

魂魄:魂と魄の二元の交流から宇宙ができ、万有万物が創られたように、魂と魄、体と精神と共に、技を生み出していかなければならない。そして、魂が魄の上、表になるようにしなければならないのだ。

十字:天火水地の十字の交流によって生みだされる言霊の響きによって、宇宙万物が生成され、それに習うことが合気の道なのである、といわれるように、技をつかう体も、また、体と息も、十字につかうようにしなければならないことになる。

一霊四魂三元八力:開祖は「一霊四魂三元八力や呼吸、合気の理解なくして合気道を稽古しても合気道の本当の力は出てこないだろう」、また「人もまた、一霊四魂三元八力を与えられている」といわれている。一霊の一元にすべてが結びついて、四魂の幸魂、和魂、荒魂、奇魂を統理するものである。
体については、三元八力という働きがある。この三元の気、流、柔、剛、またイクムスビ(△)、タルムスビ(□)、タマツメムスビ(○)と、八力の動、静、引、弛、凝、解、分、合が世界を創り、体をつくるから、気、流、柔、剛の三元のそれぞれを鍛え、引力を養成すべく八力を鍛えていかなければならないことになる。

宇宙は無限であるから、理合いも無限にあるはずである。ただひたすらその理を身につけ、その理によって肉体をつくっていくしかないだろう。己ができなければ、次の世代の同人が引きついでくれるはずである。