【第246回】 相手の動きの邪魔をしない

合気道は技の練磨を通して精進していくが、掛けた技がよかったか悪かったのかは、相手の反応でその良否の判断をしていくのが一般的である。しかし、実際には技を掛けても、相手は思うように動いてくれないものである。相手がひ弱であったり、または相手が受けを取ってくれているから出来ているように思うが、相手が少し頑張れば技にならないし、時には動けなくなってしまうはずである。

合気道の難しいことの一つに、合気道の技は投げたり抑えて相手を倒すものではなく、相手が自ら倒れるように遣わなければならない、ということである。人が自ら倒れるなどあまり考えられないし、武道としては矛盾しているようで、禅問答のようであるが、力で掴んで投げたり、抑えて倒すのは、合気道の技ではないというのである。相手が自ら倒れたいとか動きたいと思うようにして、相手が動いたり倒れるのを助けてあげるのが合気道の技であるという。

だから、相手が嫌がるように抑えつけたり、相手の動きの邪魔するのは、正しい技や技遣いではないことになる。しかし、この相手の動きを邪魔しない技を遣っていくのは、中々難しいものである。

相手の動きを邪魔しないからといって、技を掛けた相手が自由自在に動けるようでは、掛けた技は技として全然機能していないことになり、技といえない。武道の技である以上、技を掛ければ相手を殺さなければならない。殺すというのは武道の稽古上の意味で動きを封じ、自由を奪ってしまうことであり、合気道的に言えば、自分に吸収し、一体化し、自分の一部にしてしまうことである。

しかし、これでは相手の動きの邪魔をしていることになるので、合気道の技の定義に反することになると思うかもしれないが、この矛盾が合気道の面白いところであろう。陰陽、表裏一体ということである。つまり、殺して生かすのである。殺すだけでは駄目だし、生かすだけでも駄目なのである。

まず技を掛けるにあたって、相手と接した瞬間に相手とくっついて、一体化しなければならない。この時、相手を投げようとか、抑えようと思って技を掛ければ、相手はそれを察知し反抗するはずだから、相手の動きを止めることになってしまう。

先ずこれが出来ないと、相手の動きを邪魔せず、相手が自ら倒れるようにするのは難しいが、相手の動きの邪魔をする最も一般的な原因は、技を掛ける自分自身にあるのである。つまり、自分が相手の動きを邪魔してしまっているのである。
そこで、自分自身の何が邪魔をしているのかを見てみよう。

次のようなことが考えられるだろう。

相手の動きを止めないとか、邪魔をしないということを、開祖は「人の仕事の邪魔をするな」とよく言われていた。相手のやりたいようにやらせ、そしてそのお手伝いをするのが合気道の技である、といわれるのである。容易なことではないが、これができるようになれば、合気道以外でも人の仕事の邪魔をせずに、武道的に人の仕事のお手伝いができるようになるのではないだろうか。