【第923回】 腹をしぼませない

TV体操などで先生の体操とその解説を聞いていて、合気道家としていつも思う事がある。
一つは息づかいをあまり大事にしていない事である。若い先生方は体が柔軟なので息を意識しなくとも、使わなくとも体を地に着けたり、手足を伸ばしたりできるが、一般人、特に年を取ってくると、曲げよう、伸ばそうとしても体が固まってしまい柔軟体操にならないのである。伸ばす、曲げるためには息づかいが大事なのである。しかし、これは合気道家にも当てはまる問題である。合気道の技と体をつかうと分かるが、息で体と技をつかわなければならないのである。

もう一つは息と腹の関係である。TV体操でも時々息を吐いて、吸ってといっている。息を大きく吐いて、深く吸ってである。息で体を柔軟にし、強靭にするわけだからいいが、武道の目から見ると逆の息づかいである。TV体操では、「息を吐いて、腹を引っ込める」という。これは日常一般での息づかいなのだろう。合気道の稽古人も初心者はこの日常の息づかいである。
私も過ってはこの息づかいだった。当時、道着の帯が稽古をしていてずれ上がったり、緩んできたのを覚えている。息を吐いて力を込めて腹を萎めていたのである。逆に、合気道の先生方は帯が腹に密着し、どんなに動いてもずれることはなかったのを不思議に思っていたものである。

合気道の長年の稽古とフトマニ古事記から分かった事は、腹は膨らんだままで萎まないということである。腹は息を吐いても息を吸っても膨らんだままなのである。これを布斗麻邇御霊の形で表すと、である。言霊は“う“である。と息を吐きながら腹を横に拡げ気で腹を満たし、息を吐き続けながら腹を縦に伸ばし腹を気で満たし、腹を横と縦の気の十字で満たし、腹中はとなる。そして腹はこのままで気が胸に上りとなるのである。○は水で吐く息の形であるが、“う“言霊の前の”あ“”お“もと○で吐く息である。”え“でと胸で息を吸い胸を横縦の気で満たすわけだが、の腹は萎まずに気で満たした状態でなければならない。この状態であるが故に胸に気が満ち手が強力に働くことになるのである。そして最後の技を決めるのはということになるわけである。
つまり、腹、腹中は萎まないということである。
因みに通常の歩行もである。歩けば腹が出来、健康にいいということはここにもあるようだ。