【第910回】 手は鳥の羽ばたきで

合気道の技は手で掛けるので手は大事であると、これまで試行錯誤しながら研究してきた。手が大事ということは、武道的・肉体的な手として、また機能的な手として大事であるという事である。武道的にしっかりした手をつくり、そしてその手を合気道的につかう事である。
今、挑戦しているのは手のつかい方である。手の出し方、上げ方、下ろし方である。この手のつかう方の基本は正面打ち一教である。この手のつかい方は片手取り等での手のつかい方とほぼ同じであるから、正面打ち一教で稽古すればいいと考える。

これまでの手のつかい方は主に、
①手先を腹と結んで腹で手をつかう ②顔で手をつかう
であった。これで大分うまくいくがいま一つなのである。
そこで合気道の教えを思い出した。
「天地の真象を眺めて、そして学んでいく。そして悟ったり、反省したり、学んだりを繰り返していかなければいけない。要するに武道を修行する者は、宇宙の真象を腹中に胎蔵してしまうことが大切で、世界の動きをみてそれから何かを悟り、また書物をみて自分に技として受け入れる。ことごとくみな無駄に見過ごさないようにしなければいけない。すなわち山川草木ひとつとして師とならないものはないのである。」である。宇宙の万有万物から学ぶという事である。人間の浅はかな知恵をほじくり回したり、人工的なものをつくり出すのではなく、山川草木や禽獣魚虫類を師として学んだ方がいいということである。

そして教えて貰ったことは、手は鳥の羽ばたきでつかえばいいという事である。

鳥が飛び立つためには、天の気と息に合わせ、羽を前に出す。羽にも芯となる体と羽ばたく用の部がある。羽を前に出す際は羽の芯の部である。従って、技を掛ける際もこれに相当する手の部を出さなければならない。親指と人差し指と橈骨部が芯の体となり、他の指と尺骨部が用として働く。鳥はこれで羽ばたくことになる。因みに、親指と人差し指は腹とむすび、他の指は背中・腰と結び、一緒に動くと感得する。
手を鳥の羽ばたきでつかうと、鳥の気持ちになれる。天に飛び立つように感じ、鳥はこのように羽ばたいて空を飛んでいるのかと鳥になる。人間は鳥を経験し、その時の遺伝子や習性が残っているのだろう。
手は、羽ばたきをして飛んでいく鳥の羽のように、しっかりし、無理なく、自然に上がり、下がるようになる。

合気道の技をつかう場合だけでなく、剣をつかう場合も同じく鳥の羽ばたきの手づかいである。剣の秘伝書などに剣のつかい方を羽のある天狗の姿をつかって描かれているが、剣のつかい方の基本は鳥の羽ばたきであるということを暗に示しているような気がする。(下図)これまで剣の教えに何故、羽をつけた天狗が描かれるのが分からなかったがこれで納得できる。
合気道の動きは剣の動きからきていると云われるから、剣が羽ばたきなら、合気道も羽ばたきであっても不思議ではないだろう。
お陰で正面打ち一教は大分よくなった。
鳥の羽ばたきで手をつかうことは法則であるだろう。