【第899回】 体を一つでつかう

60年ほど合気道の修業を続けてきたが、ようやく合気道の技がつかえるようになったようだ。大先生の教えに従った真空の気と空の気とむすび、波動を生じさせ、稽古相手を凝結する技をつかえるようになったからである。
因みに、大先生は「合気の道を究めるには、まず真空の気と空の気を、性と業とに結び合わせ、喰い入り乍ら技の上に科学を以て錬磨するのが修業の順序であります。」と教えておられ、真空の気と空の気での技の錬磨が土台であるといわれているのである。
そして真空の気と空の気で技をつかえば、波動を生じ、相手を凝結すると次のように言われているのである。「呼吸の微妙な変化は真空の気に波動を生じさせる。この波動は極烈であるか、遅鈍であるかということで、宇宙に種々なる成因をつくる。この波動の極烈と遅鈍によって、心身の凝結が知られる。」

ようやくこれまで試行錯誤しながら探究してきた合気道の技がつかえるようになったわけであるが、今回は何故、これまでそれが出来なかったのか、何が駄目で、どうすればよかったのか等を考えてみたいと思う。すべてを書き出すのは難しいので、重要と思われるものから書くことにする。
そして今回は「体をひとつにつかう」ことが必須であるということを書くことにする。

初心者の技づかいや体づかいを見ればよくわかるが、技を掛ける際に体をバラバラにつかっている。バラバラとは、手と足と体(体幹)が別々に動いているということである。
上級者になると、腹と手、腹と足を結び、腹で手と足をつかうようになるので大分技が効くようになるし、腹からの力も手先に出るようになる。ここまでの体づかい、技づかいは上級者の多くがやっているはずである。
勿論、これだけでは不十分なので次に進まなければならい。それは息で体と技をつかうことである。イクムスビの息で体と技を縦、横、縦・・とつかうのである。息でやるので強くも弱くも、早くも遅くも自由に体も技もつかうことができるようになる。この段階で体を息で一つにしようとするが完全にはできないものである。この段階は、所謂、魄の稽古の段階であるからである。次の段階への移行が必要になる。

それは気の段階である。気を生み、気で体と技をつかうのである。気は縦、横、縦の十字の息で生みだす。慣れてくれば息でなくとも気を生みだすことは出来る。息が気に変わるのである。呼吸法はこの気をつかわなければ上手くいかないものである。
気で体と技をつかうもう一つのものがある。それは布斗麻邇御霊の営みの気の形でつかうことである。「あおうえい」の言霊でやればいい。

ここまでが波動を生じ、相手を凝結する以前の体づかい、技づかいであったわけだが、これを変えたのは主に次の二つであると考える。

  1. 空の気がつかえるようになったこと。これによって重い力と引力のある力をつかえるようになったのである。これまでも重く、引力のある力を出し、使おうとしていたが不十分であったわけである。
  2. 空の気をつかうことによって体が一つにつかえるようになったことである。体が一つになり、大きな力が出ると同時に、体の手足や腰が連動して無意識で動くようになったことである。故に手先からでも腰腹と同じ強い力が出ることになる。この激変の理由は手鏡である。手鏡で体と技をつかうことによって体がひとつになり、しっかりした体になったのである。尚、手鏡の効果は上記の1.でも同じである。
  3. 空の気が十分出ると真空の気が出て波動が生じる。相手はこの波動で凝結する。身心がこわばってしまいこちらの心身に密着し、こちらの思う通りになる。これは己と相手との一体化であり、己の体のバラバラとの対照であろう。
つまり、以前と大きく違い、新たな次元に導いてくれたのは「体をひとつに」つかうことが出来るようになったからである。体をひとつにつかうということをもう少し詳しく説明する。