【第853回】 心を柔らかく

高齢になると体と心が固まってくる。体が固くなることは誰でも意識しているはずである。それ故、多くの高齢者は、少しでも体を柔らかくしようと柔軟体操や歩いたり走ったりしている。今回は体を柔らかくすることがテーマではないので、詳しい事は書かないが、一言だけ言わせて貰えば、体を柔軟にするためには呼吸が大切であることである。息づかいによって体を柔らかくしなければならないということである。

今回は心を柔らかくすることについて研究する。
高齢になると、心が固くなる。これを一般的には頑固になるともいう。それまで長年生きてきた自分が判断基準になり、他の考えや意見を受け入れなくなるのである。
そしてそれまでの生き方や稽古法の上に生き、そしてそれで稽古をしようとすることになる。しかし、これはほぼ不可能なのである。例外的にそうする高齢者はいるが、幸せそうではない。不自然だからである。
若い頃は、競争社会、物質文明、見える世界で生きてきたし、働いてきたわけだが、そこでは経験や努力による積み重ねと他がどう言おうと揺るがない信念(固い心)が必要であった、そしてそれが評価された。
合気道の稽古においても、最初は先生や先輩や仲間からいろいろ教わるが、その内にこれが正しいと思うようになり、他の意見ややり方を受け入れなくなってくる。しかしながら、今思えば、この辺りから高齢者病の心の固さが始まったようだ。

合気道での先輩になった今、後輩に自分が見つけ、身に着けたことを教えるようになるが、高齢者の後輩に教えるのは難しい。高齢者は自分の殻をなかなか破れず、古い殻の中、つまり、自分のこれまで積み重ねたものの上でやろうとするので、新しいことが身に付きにくいのである。これは体の固さもあるが、心の固さに問題があると思う。

この心の固くなる高齢者病を柔らかい心に直すためにはどうすればいいのかということになる。
まず、私の場合には、素晴らしい先生がおられた事である。先生がその折々に私の凝りかたまった心を壊して下さっていたのである。天狗になっていた鼻をへし折って下さったのである。そして柔らかい心になるように導いて下さっていたのである。勿論、当時は分からなかったが、今になって分かってきたことである。要は、いい指導者と出会えば柔らかい心へ導いてくれるだろうということである。

次に、いい先生や先輩がいない場合の最良の方法は、合気道の禊ぎの修行をすることであろう。宇宙、万有万物から教えを受けるのである。つまり、万有万物の心の教えを受けることである。目に見えるモノではなく、そこにある目に見えない心の声を聞くことである。合気道で、万有万物から教えを受けなければならないと教えられているが、このことも指しているように思う。万有万物から教えを受けるようになると、長年生き、修業しても、如何に己が小さく、何も知らないことが分かってくる。
また、新しい事を知り、上達するためには、それまで積み重ねてきたモノを出さなければならないことも分かってくる。出せば入ってくるし、出さずにしまっておけば、新しいものは入ってこない。これを大先生は、「ところが、現在は教師も学生もそれを箱につめるばかりで、開く間がない状態である。」と戒めておられる。

また、更なる合気道の修業である。合気道の聖典である『合気神髄』『武産合気』を熟読することである。はじめは難解であるはずである。何故ならば、目に見える顕界で読んでも分からないからである。幽界の次元で、心で読まなければ分からないのである。これらの聖典が分かるに従って、心が軟らかくなっていることになるわけである。

心を柔らかくしていくためには、目に見えるモノの魄の世界を目に見えない心の魂の世界に返していくことであるといえよう。目に見えない次元で修業をし、生活をしていくことである。因みに、競争社会、物質文明、見える世界の魄の次元では、心は固くはなるが柔らかくならないので、心の世界に変えなければ駄目だということである。