【第387回】 感謝と笑い

前回の「心の輝き」では、年を取ってくると、見える外見のモノではなく、それまで見えなかったし、見なかったような、見えないモノの心を見るようになる、と書いた。さらに、自身もモノで自分を飾るのではなく、心を磨いた方がよいだろうとも書いた。そこで、今回はどうすれば心を磨けるのか、を考えてみたいと思う。

最近、日本人は顔が暗くなってきているような気がしてならない。いかにも私は苦労しています、というのを、免罪符にしているようである。本人はそれでよいかもしれないが、周りがたまらないだろう。もちろん本人達も、明るく輝く自分に何とかなりたいという望みはあっても、できないのだろう。会社と自宅を往復するだけの生活だけでは、解決は難しいかもしれない。

ありがたいことに、我々は武道であって、哲学、科学、芸術でもあり、また宗教でもある合気道を修練している。さらに、この合気道には、自分の心を磨くだけはでなく、それを社会に還元して世の立て直しをする、という教えもあるのだから、年をとって余裕が出てくれば、少しでも社会をよくしていくべく努力すべきだろう。

暗い表情の人を観察していると、ある特徴・癖がある。一つは、笑いがないことである。心からの笑いがないから暗いわけだが、笑いなさいといっても、そう簡単に笑えるものでもないだろう。笑うためには何かが必要であろうが、それを合気道が教えてくれていると思う。

人は誰でも無意識の内に、自分は何者なのか、なぜ今ここに生きているのか、どこから来て、どこに行くのか等を知りたいと思っているはずである。

合気道では、宇宙を創造し、宇宙楽園建設を目指している一元の本の大御神が、万有万物の各々に分身分業で使命を与えており、その使命をまっとうするために、人はこの世に生を受け、その使命を果たすために生きている、という。

万有万物は、人だけでなく動物、植物、さらに鉱物さえ、宇宙楽園建設のための一大家族ということになる。そして、各使命を果たしていくために、家族がお互いに助け合っているのである。

助けてもらえば、お礼をいい合うのが自然であり、道理であろう。これをやらないと、心は無意識のうちにマズイと思い、それが暗い影を落とすのではないだろうか。

まずは、助けてもらったり、お世話になったら、常に感謝することであろう。言葉に出してお礼をいうか、心のうちで感謝するだけでもよい。また、人にだけでなく、お日様、神様、草花、木々、さらに使った道具や乗った車、エレベーター等にも感謝するのがよい。

これだけでも、顔は温和になる。すべてのものが自分と繋がり合っている、と思うようになるはずだ。自分ひとりだけで生きているのではないことが、わかるようになる。合気道の稽古でも、ひとりだけでは上達はない。相手と一緒に稽古したり、ライバルを意識したり、上手な人の技を盗んだりするから、上達できるのである。

何事にも、何に対しても、感謝するようになれば、素直な心になるから、自分もまわりも素直に、自然に見えるようになる。しかめ面で街を急ぐ人たちも一生懸命に生きていると思えてくるし、子供たちや幼児も彼らなりに一生懸命だし、鳥や虫や草花も一生懸命生きているのが見えてくる。

みんな一生懸命にがんばっている、ということが見えてくると、心からの笑いが出てくるようになる。小さな子供が親の関心を引きつけようと悪戯したり、オス鳥がメス鳥の気を引こうと飛んだり戻ったりしたり、また小さな野花が子孫繁栄のために種を少しでも遠くに飛ばそうとする姿を(テレビで)見たりすると、自然に笑いが出てしまうであろう。

笑いのためには、まずはすべてのモノに感謝すればよいと考える。これが社会に浸透すれば、暗さは薄らぎ、明るさに変わってくれるのではないかと期待する。難しいだろうが、取りあえず自分が実践し、周りから分かってもらうようにするしかないだろう。

人だけでなく、万有万物はできれば明るく、楽しく生きようとしていると思うので、その方法を待っているはずである。感謝と笑いで何とか、明るい社会になるようにしたいものである。