【第950回】 老いは新鮮

人の老いに関して、決まっている事と決まっていない事がある。決まっていることを法則とか条理とか決まりという。決まっていないことは法則ではない。人間、年を取れば老いていく。そして死に至る。これは法則である。合気道的に云えば宇宙の法則である。時代や地域に関係ない法則ということである。
しかし年を取って老いても、どのように老いるかという法則はない。老いるに対してどう対処するのかの決まりはないということである。老いをそのまま受け入れるのもいいし、老いの進行を遅らせるために対抗するのもいい。更に、老いが悪であるという法則もない。若い頃よりも老いを楽しみ、満喫してはいけないという決まりもない。

老いが毛嫌いされ、敬遠され、拒否されるのは、若い頃と比べるからであろう。若かった頃のように、身体は動かないし、体力や気力が衰え、食欲も意欲もない。若い頃はよかったが、今はつまらない。若い頃に戻りたい等と思うわけである。
高齢になって、合気道の稽古をしていても、若い頃は力も体力もあって疲れ知らずで稽古をしていたが、今では身体が満足に動かなくなり、若者に力負けしてしまうようになったと嘆く。
これが一般的な高齢者の想いではないかと推察する。
残念である。何故ならが、法則でないことまで法則にしてしまい、自分自身で窮屈にしてしまっているからである。
老いも若さ同様素晴らしいと思えなければいけないだろう。老いも若きも同じ人生なのだから。

因みに、老いとの戦もある。肉体的な衰えを少しでも減速させようとすることである。例えば、足の衰えに対しては、出来るだけ歩くようにしている。家から道場までは往復約6,000歩で、これを基準に毎日歩くようにしている。頭と口が錆びないように、毎朝、朝日新聞の『天声人語』を声を出して読んでいる。しかし、一番の効果は毎朝の禊にあると思う。年を取ったら毎朝、禊をして体と心のカスを取るのがいいと確信している。

高齢者の若い頃は過去であるが、高齢者の日々は未来である。毎日が未知の世界であり、未体験のモノ・コトとの遭遇である。
私は老いを憂いない。楽しむようにしている。若い頃には体験できなかった事を体験、実感できるからである。毎日、老いては行くが常に未経験であるから新鮮である。毎日、新鮮な体験ができるのである。老いの状態で体験するわけだから、若い頃には決してできない体験である。

合気道の相対稽古でも毎回新鮮な体験をしている。若者の強力な魄力に対し有効な力が出るよう、つかえるようにしており、そのため、新たな宇宙の法則を見つけ、技に取り込み、宇宙人に近づこうとしているのである。法則は自分自身で見つけることもあるのだろうが、大体は何かが教えてくれているように思える。ある程度老いないと何者かは知らないが教えてはくれないようである。
故に、若い頃に戻りたいなどとは思わない。もっと年を取りたいものだとさえ願っているところである。