【第250回】 高齢化道の目標
前々回の第248回で、「高齢化道」と題して、理想的な高齢者の生きる道を書いてみたが、今回も高齢化道の続きを書いてみる。
高齢化を道としたのであるから、目標があるべきだろう。道には目標があるはずだからである。80、90、100歳になって、自分がどうなりたいのか、それが目標となるだろうから、どんな目標を持ち、目指せばいいのか考えてみたいと思う。もちろん、それは人によって違うし、考える時期によっても変わるだろうが、今、この時期での私の高齢者道の目標を考えてみることにする。
合気道を精進しているのだから、高齢化道の目標は、開祖に少しでも近づくことであることは言うまでもない。しかし、開祖のどういうところを見習い、目指せばいいのかは中々難しいだろうが、漠然と開祖を目標とするより、開祖の素晴らしく、見習うべくところを、具体的な目標にすればよいと思う。
例えば、開祖は合気道を創られ、強かっただけではない。書も素晴らしいし、歌(道歌)も文章もお話も素晴らしい。霊的能力、立ち振る舞いの美しさなどなど素晴らしいものだらけで、高齢化道の目標にすることは無数にあるだろう。
これらの目標は合気道を精進しながら追及することにするにして、もっと一般的な目標もあると思う。
その目標になるべきものは、100歳ぐらいまで一生懸命に生きた人、生きている人の話を聞くのがよいだろう。当然、人によって違うし、同じ目標でも比重や優先順位は違うだろうが、基本的には共通するような気がする。
それで前々回紹介した、今年、100歳になられる柴田トヨさんが歌われた詩集『くじけないで』の中からそれを拾ってみたいと思う。
- 若い時は見えなかったもの、聞こえなかったことが聞こえるようになり、
自然と宇宙と対話ができるようになる。そして、風や陽射しなど自然と対話ができるようになる。
- やることがあればおいそれとは死なないという自負と、一日一日が愛おしくなり、まわりのものが生きる力を与えてくれているという思いをもち、それに感謝できる。
- 老いを素直に受け入れ、忘れていくことを諦めると共に、幸せと思う。
- 人は無論のこと、使わせてもらった扇風機や思い出の道といった無生物に対しても、感謝とねぎらいの心を持つようなやさしさ。
- 世の中の沢山の問題は、コロンボ警部と古畑任三郎警部の二人が協力したら、二時間あれば「犯人をきっとつかまえてくれるはず」(「二時間あれば」)というようなユーモア。
- 「98歳でも恋はするのよ、夢だってみるの、雲にだって乗りたいわ」と老いてますます盛んに、恋も夢も冒険もしたいと思う。
- 「一生懸命にやれば、人は手を差し伸べてくれる」「朝はかならずやってくる」「何があろうとくじけない。辛いことあっても、生きていればよかったと思うはずである」「出来なかったことは山ほどあるが、精いっぱい努力することが大事」「やさしさをもらうほどうれしいことはない。それを貯金すれば年金よりいい」など、後進に勇気ややる気を与えてやる。
100歳まで生きている保証などないが、自分がどんな人間になりたいのか、自分の理想を持ち、それを持ち続けたいものである。そして、その理想に、このような生き方も取り入れていきたいと思う。
まだまだ世の中には、素晴らしい高齢化道を歩んでいる人がおられるだろう。もっともっと勉強して、高齢化道の目標に加えていきたいものである。
Sasaki Aikido Institute © 2006-
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