【第248回】 高齢化道

合気道はひとつの道であり、その他にも柔道、剣道などの多くの道もある。道というのは、明確であったり、不明確でも漠然とした目標があり、その目標に向かって、それに到達すべく、またはそれに少しでも近づくべく進んでいくところと考える。従って、目標がないとか、その目標への方向性が違っていれば道ではないことになる。

人は年を取っていき、何時か必ず死ぬ。生まれて、そして死ぬ。これは金持ちも、健康な人も、関係なく、一つの法則であり、人間道という道と言えるかもしれない。しかし、生まれてから死ぬまでの生き方は、一人として同じではない。一人の人が他人に代わって生きていくことはできない。自分のいるところには他人は入れない。だから、人はみな、自分しかできないことをやらなければならない。これを、天(宇宙)から与えられた使命というのだろう。

生き物は生存本能をもっており、死なずに生き続けようとするものだ。その為に、できるだけ死をさけたり、死の危険から回避したり、またそれと関連して自分の優位性をアピールして生存し続けたいと行動する。特に、若い内はこの傾向が強く、それにエネルギーを集中するものだ。それ故、若い内は競争や争いが多いのであろう。

高齢になるに従って、一般的には競争や争いが少なくなってくる。時には起きるものの、年寄りの競争や争いは不自然であり見苦しい。

競争や争いというのは、相手と自分を比較して競争原理を働かせてしまうものだと考えられる。若い内ならわかるが、高齢になってもそうするのは不自然である。

高齢者は、若者のような生存本能原理や競争原理で生きるのではなくて、若者と違った原理、つまり高齢者の「道」を行くべきではないだろうか。

最近(2011年1月)は、詩を読んで感激している。詩に興味を持ち、その上詩集を購入するなど、生まれて初めてである。

一つは、今年で101歳になる詩人のまど・みちおさんの詩集『どんな小さなものでも みつめていると 宇宙につながっている』であり、もう一つは、99歳の詩人の柴田トヨさん(写真)の詩集『くじけないで』である。どちらの詩人も100±1歳であり、その100年間を一生懸命生きて、その結果、宇宙につながり、自分が見えて、人が見えてくるということを、我々に詩で語ってくれているように思える。

その幾つかのポイントを、若い時に非常な苦労をし、10年前から詩を書きはじめたという柴田トヨさんの詩集『くじけないで』の中から拾ってみたいと思う。( )内は詩のタイトルである。